「暗記勉強は無意味」では全くないと断言できる訳 「学び」を重視し「勉強」を軽視する風潮に違和感
「学び」という言葉の胡散臭さ
現代社会で使われる「学び」という言葉には、どこか胡散臭さがあるな。そんな最近の「学び」に対する疑わしさの感覚が、新著『「学び」がわからなくなったときに読む本』をまとめるきっかけと原動力になりました。
僕は10代の学生たちに勉強を教える仕事を始めて今年で23年になるのですが、大人は子どもたちに「勉強しろ」と言うわりに、自分に対して「勉強」を課している人はさほど多くないと感じています。
その代わりと言ってはなんですが、大人たちは「いくつになっても学びは必要だ」と言ってみたりするわけです。しかし、このときの大人たちが言う「学び」という言葉のニュアンスには、「勉強」とは明らかに異なる特有の甘さが含まれます。
そして、自らも「学び」が必要だと感じているはずの彼らの多くが、「勉強するのは子どもの仕事」であり、大人がすることじゃないと考えている感じがどうも気になるのです。


















無料会員登録はこちら
ログインはこちら