「暗記勉強は無意味」では全くないと断言できる訳 「学び」を重視し「勉強」を軽視する風潮に違和感

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「学び」がわからなくなったときに読む本
学校の「勉強」が社会で役に立たないというのは本当なのでしょうか(写真:buritora/PIXTA)
いま、子どもたちの教育現場では、暗記偏重の「勉強」が敬遠され、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)にみられるような「学び」という言葉が積極的に取り入れられています。
しかし、現代社会で使われる「学び」を大人たちはどこまで理解し、実践しているのでしょうか。また、勉強が役に立たないというのは本当なのでしょうか。
教育者で福岡で学習塾を経営する鳥羽和久さんの新著『「学び」がわからなくなったときに読む本』は、「学び」という言葉への疑わしさの感覚を出発点に、本来の「学び」を自らの手に取り戻すためにどのような取り組みが有効なのか、そのことを知るために、学びの現場にいる人たちに話を聞きに行った、その対話の記録です。
同書から一部を抜粋・編集し、3回に渡ってお届けします。

「学び」という言葉の胡散臭さ

現代社会で使われる「学び」という言葉には、どこか胡散臭さがあるな。そんな最近の「学び」に対する疑わしさの感覚が、新著『「学び」がわからなくなったときに読む本』をまとめるきっかけと原動力になりました。

僕は10代の学生たちに勉強を教える仕事を始めて今年で23年になるのですが、大人は子どもたちに「勉強しろ」と言うわりに、自分に対して「勉強」を課している人はさほど多くないと感じています。

その代わりと言ってはなんですが、大人たちは「いくつになっても学びは必要だ」と言ってみたりするわけです。しかし、このときの大人たちが言う「学び」という言葉のニュアンスには、「勉強」とは明らかに異なる特有の甘さが含まれます。

そして、自らも「学び」が必要だと感じているはずの彼らの多くが、「勉強するのは子どもの仕事」であり、大人がすることじゃないと考えている感じがどうも気になるのです。

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