「暗記勉強は無意味」では全くないと断言できる訳 「学び」を重視し「勉強」を軽視する風潮に違和感

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最近は「勉強」の評判が悪くなったのか、子どもたちの教育現場にも「学び」が積極的に取り入れられるようになりました。学習指導要領には「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)を取り入れた探究学習を行うことが明記されました。

暗記偏重の「勉強」よりも、「自分で未来・社会を切り開いていくための資質・能力を育む」ための「学び」こそが必要であるとの方向転換がなされたわけです。

しかし、僕はこの方針に対して懐疑的です。基礎知識がないままに探究学習を進めることは、ピースが足りないジグソーパズルを組み立てるような、どだい無理なことをやらされているにすぎないのではと思えるのです。

「つまらない大人化」を加速させる授業

以前、小学校の「哲学対話」に招かれて、授業のサポートをした際に痛感したのは、小学生たちに下手に議論をさせたところで、手持ちの少ない洋服でいかにオシャレするかを競うようなものにしかならないということでした。そして、その行きつく先は、いかにも社会適応的で常識的な議論でした。こういう議論の練習をしたところで、早期の「つまらない大人化」を進めるだけ、そんなふうに感じました。

僕が授業をサポートしたのは一般の公立校ではなく、果敢に新しい教育にチャレンジしている小中一貫の難関校です。その学校の生徒は、大人の意図に適応することに長けている子が多いと感じました。探究型学習に積極的な学校ですが、子どもたちがそこで身につけているのは、個性と呼ばれるような独特さとは無縁な、より高度な協調性と規範性でした。

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