「父は中卒蕎麦屋」格差に直面した息子の驚く顛末 浪人は許されない、退路を断った彼のその後

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無事、灘に入った田内さんは一度気が緩んでしまったそうですが、苦労していたいとこの姿がずっと脳裏に焼き付いていました。

「浪人はできない」と思っていたこともあり、中学1年生の時点から危機感を持って勉強を重ねていました。

浪人 灘
灘中学校に合格したものの、周りとの家庭環境の違いを感じていたという田内さん(写真: Fast&Slow / PIXTA)

「灘に入ること自体が目的になっていたから、1学期はあまり勉強しなかったんです。そうしたら、すぐに平均点がとれなくなってしまって。2学期から慌ててやり直したんですが、成績はすぐに上がらなかったんです。結局、上の層はずっと勉強を続けているから、最後まで前にいた小学校のころのように、1番にはなれず、よくて10番くらいの成績でした」

周りの家庭環境との違いを感じる

日々奮闘しているうちに高校に上がり、灘での生活も後半戦に突入しました。日本有数の超進学校で生活を送る中で、田内さんは自分と周囲の違いを感じていたそうです。

「年収が一定の基準に満たない人を対象に授業料が軽減される制度があったのですが、これを申請した人が僕以外いなかったんです。学校生活でも、雑談で『親の大学どこ?』って話題が出たんですが、みんな親が大学を出ていることが前提なんですね。当時は『教育格差』という言葉はなかったですが、経済水準によって教育が違うことの不条理さは当時から感じていました」

高校生になってからの田内さんは、志望校である東京大学理科I類を目指し、勉強により一層、力が入ったそうです。その理由は、灘高等学校を卒業し、東京の大学に通う人を対象にした寮に入るためでした。

「実は、灘高等学校は酒造家の両嘉納家、山邑家(銘柄でいうと白鶴・菊正宗・櫻正宗)の3氏が設立した学校なんです。その関係で『菊正宗』の財団法人がお金を出して、無料で住まわせてくれる寮がありました。うちはお金がないから絶対にそこに行きたいと思っていました。でも、1学年で4人しか入居させてくれず、それも高校3年間の学校の成績で決まると言われたので、何としても勉強を頑張って入らないといけなかったんです」

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