田内さんとは10歳ほど年の離れたいとこのお兄さんは、金銭面・情報面・環境面などの苦しい状況の中にありながら、どうしても進学がしたくて、田内さんの実家の蕎麦屋で働きながら、必死に勉強を続けました。彼は2浪して、国立大学に進んだそうです。
そんな彼の姿を見て、当時の田内さんは小学生ながらも、大学受験の過酷さを肌で感じたそうです。
実際、田内さん自身ものちに経済的に厳しい状況の中で、受験戦争を戦うことになります。
その経験は田内さんの作品にも投影されていて、10月18日に上梓する小説『きみのお金は誰のためーボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」ー』では、主人公の優斗に対して、300万円の奨学金を借りて大学に行く4つ上の兄がこんなことを言っています。
「俺が一度でも、浪人でも留年でもしてみろよ。お前が大学に入ったとき、俺もまだ大学生だろ。同時に2人の大学生を抱えるなんて大変だろ。まあ、お前が大学に行けば、っていう話だけどな」(書籍P173より抜粋)
これは第一志望校に合格した兄が、引っ越しの準備をしながら優斗に向かって言った一言です。覚悟を持って現役合格を勝ち取った彼からは浮かれた気持ちというよりむしろ、慢心せずに、気を引き締めている印象を受けます。
受験戦争にはただでさえ、金銭的な負担が重くのしかかります。浪人をすれば、1年で数百万円のお金がかかるでしょう。
今回は、この1シーンに表れている田内さんの浪人観を、幼少期から高校生活まで深掘りしながら、お伝えします。
浪人するいとことの生活が始まる
田内さんは茨城県に生まれ育ちました。彼が小学1~2年生のとき、受験に失敗した鳥取に住むいとこが、田内さんの家で居候を始めました。
「当時、鳥取は大学に行く人が少なく、浪人をするにしても勉強する場所がありませんでした。田舎で若い人が働ける仕事は種類が限られてきます。いとこは安定した仕事に就くために学歴が必要だと感じ、進学したいという思いを強くしたようでした。でも、大学受験するにも環境が整っていないので、東京に近い茨城に出ようと思って、うちに住むことになりました」
「うちも養ってあげられるほど裕福ではないので、蕎麦屋の出前をしてもらうことが条件でした」と語る田内さん。いとこはアルバイトをしながら、勉強に打ち込んで2浪で某国立大学に進学できました。
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