古川:おっしゃるとおり、確かに本当は利害は対立するはずです。しかし、その対立をエリートの側が緩和ないし隠蔽することによって、エリートと大衆との共依存は、なお持続するのではないか。それが、本書の第7章で論じられている、エリートによる大衆の「懐柔策」です。
福祉や教育の充実によって大衆の不満を和らげながら、新自由主義エリートが支配体制を存続させていく。リンドはその典型例として、ベーシック・インカムの導入を挙げています。
リンド自身は、それでは根本的な解決にならないよと、先回りして釘を刺しているわけですが、エリートの側が、これを体制維持のためのコストだと割り切ってしまうと厄介です。「まあ、最低限の生活が保障されるなら」と、大衆は喜んで飛びつきますよ。
こうして、エリートと大衆とが、お互いにコストを支払いながら共依存していく体制が続くとすれば、それに対して、それではダメなんだということを、知識人はどう説明できるのか。結局、問われているのは、そもそもなぜ民主主義でなければならないのかという、もっとも根本的な価値観の問題ではないのかという気がします。
中野:確かに、フリードマンや竹中平蔵など、新自由主義者がベーシック・インカムを主張するケースがありますね……。そうした新自由主義エリートのいやらしさをクリアに示したのが、リンドということですね。井上先生は、これまでの流れで気になる論点はございますか。
労働者階級も一枚岩ではない
井上:民主的多元主義の実現には、確かに課題は多いと思います。個々の利益集団や中間団体の中の民主主義をどういうふうに保てるのか、保つべきなのかということについては、リンドはあまり言及していない。これは佐藤先生がおっしゃった、労働者に対するロマンティシズムにもつながるところかと思います。
個人的な話を言うと、大学の職を得る前、自治体で非正規で働いていたときに、一時期までは市職員組合のお知らせが来たんですけども、私が非正規だってことがわかった瞬間に来なくなっちゃったんです。
中野:あ、組合は正規だけなんですね。
井上:そうではないはずなのですが、そのときはそういう感じでした。それを恨んでいるわけではないです。ただ、正規と非正規の越えられない壁について痛感しました。今は非正規の人たちの組合化もすこしずつ進んでいますが、日本はどうしても企業別であったりと、もし労働組合を復権させるとしても、古いものをそのまま復権できるかは疑問があります。
中野:なるほど。施さんはいかがですか?