日本人は現状追認をリアリズムと勘違いしている 「古典の叡智」を生かせていない保守とリベラル

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あごに手をつくスーツ姿の男性
アメリカが個人主義で能力主義というのは本当なのでしょうか(写真:Kazpon/PIXTA)
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中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)など、気鋭の論客の各氏が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。
中野氏の新刊『奇跡の社会科学』(PHP新書)をめぐって、いかに古典を現代に生かすか、その考え方や方法について徹底討議する。今回はその後編をお届けする(前編はこちら)。

アメリカが多様性を尊重するという神話

中野:かのアイザック・ニュートンは手紙の中で「私がかなたまで見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです」と書いたと伝えられています。自分の研究の成果は先人たちの業績の蓄積のおかげだという意味です。ニュートンは自然科学における偉人ですが、同じことは政治学や経済学などの社会科学にも当てはまります。

100年前、200年前に書かれた古典を読んでも意味がないと思う人もいるかもしれません。しかし、100年前の経済学者の中には現代の経済学者より優れた人がいました。100年前、200年前の古典を読み返せば、いまでも多くのインスピレーションを得ることができます。社会科学の古典は、いつまでも輝きを失わないのです。

私は『奇跡の社会科学』(PHP新書)で、マックス・ウェーバーからE・H・カーまで8人の偉人たちの古典を取り上げました。みな西洋の人たちです。「西洋の古典に書かれていることは、日本には当てはまらないのではないか」と考える人もいると思います。日本には日本特有の文化があり、西洋とは異なると思っている人は少なくないでしょう。これは日本特殊論と呼ばれる考え方です。

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