また、スミスの時代のイギリス貴族の間では、ヨーロッパ大陸に旅行することが一種の大人になるための儀式とされていました。これについてもスミスは厳しく批判し、外国に行くと他人の目を気にしなくなるから問題だ、イギリスの貴族教育はなっていないと言っています。
これは日本とかなり共通するところがあると思います。日本人は世間からどう見られるかを非常に気にしており、世間の目で行動が左右されると批判的に論じられますが、その点は西洋も変わらないのです。
「西洋=個人主義的、日本=集団主義的」なのか
中野:個人主義と集団主義の話もそうですね。次のような議論を聞いたことがある人は多いと思います。「西洋人は個人主義的で、個が確立している。これに対して日本人は集団主義的で、人間関係ばかり気にしていて、個が確立していない。未だにちゃんと近代化していないのだ。日本人は個を確立しなければいけない」。
しかし、これは果たして正しいのでしょうか。私は『奇跡の社会科学』の中でエミール・デュルケームを取り上げました。デュルケームは19世紀末から20世紀初頭のフランスで活躍した社会学者で、ほぼ同時代人であるマックス・ウェーバーと並んで近代社会学の創始者とされています。
デュルケームは『自殺論』という著書で当時のヨーロッパの主要国の自殺について議論し、「人間は個人主義になると自殺に走りやすくなる」「人間には共同体との絆が必要だ」と結論づけます。要するに、「個の確立」などというのは西洋でも幻想にすぎないということです。
古川:中野さんは大学時代にデュルケームの『自殺論』を読んで、「日本人も西洋人のように個を確立すべきだ」という類の議論がおかしいということに気づいたと書かれていますが、私の場合はエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』がそうでした。
だいたい、中高生の頃は、とくに国語の評論文などで、日本は近代化していないだの、個が確立していないだのといった文章をさんざん読まされます。それで、なんとなくそれが「正しい」言説なのだと思い込まされますし、そういうことを言えば知的ぶれるかのように錯覚してしまいます。恥ずかしいことに、私もそうでした。