〈戦後80年〉当事者ではないからこそ…"アウシュヴィッツ唯一の日本人ガイド"が語る記憶の継承 「『平和は大事だ』で終わらせない」

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110万人が犠牲者になったと言われるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の跡地。第二次大戦中、ヨーロッパ各地のユダヤ人が集団で送り込まれ、労働力として期待できない者は到着直後にガス室で殺害された(記者撮影)
600万人に上るユダヤ人が犠牲になったとされる、ナチス・ドイツによる民族大虐殺「ホロコースト」。人類史上最悪の惨劇を象徴する現場となったのが、ポーランドにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だ。第二次大戦中、ナチスの人種差別的な反ユダヤ政策の下、「東方への移住」と偽られて、数多くのユダヤ人が強制的に連行された。
収容所に着くと、労働力として期待できない者はシャワー室を装ったガス室に送り込まれて殺害され、それ以外は劣悪な環境で働かされた。持ち物は没収され、身に着けていた眼鏡から髪の毛、金歯に至るまで徹底的に「資源」として搾取された。ユダヤ人以外にポーランド人の政治犯、ロマらも収容され、犠牲者は110万人と言われる。
「劣等人種」はモノのように分類・管理し、効率的に殺す――。人間の尊厳を根底から奪ったホロコーストは、排外主義と結び付いた近代合理主義が孕む残虐性を顕在化させた。アウシュヴィッツの解放、そして第二次大戦終戦から80年の時が流れた今、過去の凄惨な歴史を直接知る当事者は減りつつある。
現在は博物館となっている収容所跡地で、日本人唯一の公式ガイドがいる。1991年にポーランドに移住した中谷剛さん(59)だ。1997年に博物館の公認ガイド資格を取得し、四半世紀以上にわたってアウシュヴィッツの案内人としてホロコーストの歴史を伝えてきた。昨年のツアーは約400回に上ったという。
記者は7月に現地ツアーに参加し、中谷さんの案内でホロコーストの痕跡を見学して回った。現地で長年過ごした中谷さんは日本人として、ホロコーストへの向き合い方や記憶の継承をどのように考えているのか。ツアーの後、中谷さんに話を聞いた。

戦争を体験したガイドはもういない

――アウシュヴィッツ解放から80年、日本も今年戦後80年の節目ですが、戦争の体験者が減り、リアリティを持ってその歴史を捉えるのが難しくなっていると感じています。中谷さんは2007年の著書『ホロコーストを次世代に伝える』で、すでにアウシュヴィッツの「記憶の風化」に言及していました。当時を知る人はかなり少ないのではないですか。

1月27日が追悼式典でした。(解放)70年の時から言われていましたが、75年、80年と生還者がますます減っています。今回も来られましたが、みんな90歳を超えるようなご高齢の方がスピーチをなさっていた。当時の歴史の記憶を話せる人はほとんどいなくなっていますね。

――前述の著書では、ポーランドの政治犯としてアウシュヴィッツに収容された後に生還し、戦後長く館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんの話が多く登場します。

彼も2012年に亡くなりました。僕がガイドを始めた頃は館長ではなかったのですが、定期的に案内はされていました。ガイドはやはり誰か見本が必要で、僕のときはまだ案内していた生還者が一番の見本だったし、今でも案内するときの糧になっています。今はもう、戦争を体験したガイドは1人もいない。定期的に案内していた生還者はスモレンさんが最後でした。

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