玉木代表はなぜ首相になれなかったのか? 公明党離脱で"漁夫の利"を得られなかった「国民民主党」が犯した《失敗の本質》

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玉木雄一郎と高市早苗
首班指名の後に国会内で言葉を交わす国民民主党の玉木雄一郎代表(左)と高市早苗首相。公明党の連立離脱以降、両者の力関係は目まぐるしく入れ替わった(写真:ブルームバーグ)

国民民主党の政党支持率がじりじりと下がっている。

読売新聞とNNN(日本ニュースネットワーク)が10月21~22日に行った緊急全国世論調査では、同党の政党支持率は5%で前月から4ポイントも減少。25〜26日の毎日新聞の調査でも前月から5ポイント減の5%で、日本経済新聞とテレビ東京の共同調査でも前月の9%から6%に減少している。

共同通信の全国緊急電話世論調査でも政党支持率は8.8%で、今夏の参議院選挙直後の15.1%から大きく下落した。当時の勢いはどこに行ったのか。

国民民主党の失速、その端緒はどこか

石破茂前首相が9月7日に退陣を表明して以降、政治の話題は自民党総裁選挙一色になった。当初は本命視された小泉進次郎氏が「ステマ問題」などで沈み、ダントツで多数の党員票を獲得した高市早苗氏が浮上。決選投票では国会議員票で小泉氏を4票上回り、高市氏が自民党初の女性総裁に就任した。

これまでの政界の“常識”であれば、高市氏が初の女性首相の誕生となるはずだが、衆参両院で自公は過半数を制していなかった。しかも、10月10日には公明党が連立解消を宣言。ここから多数派工作のためのゲームが急展開した。

高市氏は10月5日に国民民主党の玉木雄一郎代表と極秘に会談。「年収の壁」の引き上げやガソリンの暫定税率廃止などについても、2人の考えは一致していた。さらに自民党は玉木氏に閣僚ポストも準備し、高市氏の後見役である麻生太郎元首相は翌6日、国民民主党の榛葉賀津也幹事長と会談した。

自公に国民民主党が加われば衆参両院で過半数を超えるが、権力の構造も変化する。衆参両院で公明党より多くの議員数を持つ国民民主党が台頭し、公明党の立場は相対的に低くなる。しかも自公が政策協定を協議する7日よりも前に、断りなく他党とやり取りするとは何事だ――。公明党のプライドは深く傷ついたに違いない。

公明党は連立離脱の理由を「政治とカネ」の問題としているが、本音は「与党にいてもメリットが小さい」ということだろう。そして公明党の連立離脱により、国会で高市氏が首班指名を獲得するには、衆議院で196議席の自民党票に加えて37票以上が必要になった。

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