玉木代表はなぜ首相になれなかったのか? 公明党離脱で"漁夫の利"を得られなかった「国民民主党」が犯した《失敗の本質》
もし35議席を持つ日本維新の会と組めば、残りは2票で、27議席の国民民主党と組むより効率的。ここで“優先順位”が入れ替わった。
さっそく高市氏は維新と接触。12日には同党の藤田文武共同代表と会談し、すばやく合意をまとめ上げた。
そもそも自民党と維新は同根で、国家的な政策についても基本的に変わらない。15日には大阪から吉村洋文代表が上京し、首班指名選挙で高市氏に投票すること、そして連立のための政策協議を開始することを決定した。
玉木氏は“本気”で首相になろうと思ったのか
一方で、国民民主党は立憲民主党や公明党と協議したが、政策の格差は埋まらなかった。
「二枚舌みたいな感じに扱われて、われわれとしては残念」。玉木氏は10月15日夜、自維連立の決定について自身のYouTubeチャンネルで嘆いてみせたが、それも当然だ。
7日の野党国対委員長会談で、維新の遠藤敬国対委員長が「首班指名で玉木氏の名前を書いたらどうだ」と発言。立憲民主党の安住淳幹事長も、8日の立憲民主党と国民民主党の幹事長・国対委員長会談で「玉木氏は有力な候補」と述べた。
そして、10日に玉木氏は「私には総理大臣を務める覚悟があります」と、X(旧ツイッター)に投稿。安全保障や原発について考えが異なる立憲民主党に対して、国民民主党の政策に添うように求めた。
衆参合わせて190議席の立憲民主党が同52議席の国民民主党に従うはずはないが、そもそもこのときの玉木氏が“本気”だったのかどうか。気になるのは、翌11日に公開された「たまきチャンネル7周年記念 特別企画 榛葉賀津也議員と玉木雄一郎のスペシャル対談」の内容だ。
なごやかな雰囲気でのかけ合いの中で、玉木氏が出馬した2016年に行われた民進党代表選の話題になり、榛葉氏が蓮舫氏を応援したことについて玉木氏が「黒歴史」と茶々を入れ、榛葉氏が「当選したら衆議院に行くというから、みんなが応援した」と述べたことが問題視された。
私的な会話ならともかく、胸に議員バッジをつけて公に話す内容としては適切とはいえなかった。ましてや、これから首班指名に名乗りを上げようとするにしては緊張感がなさすぎた。


















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