玉木代表はなぜ首相になれなかったのか? 公明党離脱で"漁夫の利"を得られなかった「国民民主党」が犯した《失敗の本質》
はたして、玉木氏は“本気”で首相になろうと思ったのか。
「対決より解決」をモットーに、政策実現を目指す国民民主党だが、過去に何度か失敗している。その1つが「トリガー条項」の凍結解除で、2022年度本予算に賛成するのと引き換えに岸田政権と約束したというが、実現しなかった。
また、昨年12月の自公国3党幹事長合意についても、「年収の壁」は国民民主党が主張した178万円まで引き上げられていない。玉木氏は10月24日に公開された「たまきチャンネル」の動画で、これらが実現しなかったのは「信頼関係がなかったため」と説明した。
しかし、それは言い訳にすぎないのではないか。「トリガー条項」の凍結解除が実現しなかったのは与党入りを焦った結果であり、3党幹事長合意に記載された文言は「178万円を目指して来年から引き上げる」であり、「178万円に引き上げる」と書かれていない。
玉木氏の二の轍を踏まなかった高市氏の英断
そもそも十分な信頼関係を構築したうえで連立を組んだ例は、過去に存在しただろうか。10月20日に正式に発足した自民党と維新の連立は、お互いにそろばんを弾いた結果だったのではないか。だから、短期間で連立が組まれ、維新は閣僚を出さなかったのではなかったか。構築するのに時間がかかる信頼関係は、その後に醸成すればいい。
そして、それは高市政権の姿勢そのものだ。まずは結果を出すことで国民の信頼を獲得し、次の選挙で議席を増やす。高市首相の総裁任期はあと2年。山積する諸問題に対処するには、ぐずぐずしている余裕はない。
そのような姿勢に感銘する人は少なくない。前述の読売新聞とNNNの調査では、高市内閣の発足時の支持率は71%で、2000年以降の政権で4番目に高かった。とりわけ、若い層の自民党支持者が増加した。
高市氏の保守的な政治姿勢に、岸田政権と石破政権で自民党を離れた支持層が戻ってきた。いずれも国民民主党や参政党の支持層と重なり、高市自民党への“回帰”がうかがえた。
このような「高市の壁」に阻まれて、国民民主党はこれから国民の支持を伸ばしていくのは難しくなるのではないか。首班指名のチャンスも、そう簡単に来るわけではない。「運命の女神には後ろ髪がない」というが、玉木氏はその残り香すら嗅げなかったのではなかったか。
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