「カリスマ池田大作氏なき公明党」が下した"原点回帰"の決断、その波紋がもたらす《政界再編含み》の3つの政局シナリオ

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高市早苗と鈴木俊一
自公党首会談を終えて会見に臨んだ高市早苗総裁。展開次第では首相に就けない可能性も出てきた(写真:時事)

公明党が自民党との連立離脱を決めたことは、日本政治に巨大な衝撃をもたらしている。26年前に発足した自公連立は、政局を安定させ、さまざまな政策が進められてきた。連立の一角が崩れたことで、自民党の高市早苗総裁が首相に就くことさえおぼつかなくなってきた。

野党側は「政権交代の好機」と気勢を上げる。与野党入り乱れての権力争奪戦が繰り広げられ、政界は激動と再編の局面に入ってきた。

二重の連携を積み重ねてきた自公連立

自公連立は1999年、当時の小渕恵三首相(自民党総裁)と公明党の神崎武法代表の間で合意した。自民党は参議院で過半数割れした「数」を補うことが最優先だった。公明党にとっては、政権入りすることで福祉の充実などが実現できるメリットがあった。

自民党は、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律の成立に公明党の賛同を求め、公明党は景気対策のための地域振興券(商品券)の発行を要求するなど、補完・協力を重ねた。2009年から3年余続いた民主党政権下で自公両党は野党になったが、国政選挙での協力は維持された。

12年からの第2次安倍晋三政権では、集団的自衛権を容認する安全保障法制について、公明党が当初、慎重な姿勢を見せていた。だが、法案の修正で自公が歩み寄り、野党の反対を押し切って成立にこぎ着けた。自公連立は「衆参両院での過半数確保」と「選挙協力」という二重の連携を積み重ねた。

ところが、23年に自民党で旧安倍派を中心とする裏金事件が発覚。翌24年の衆院選では自公両党が敗北し、過半数を割り込んだ。公明党は代表だった石井啓一氏が落選し、斉藤鉄夫氏に交代するという事態に陥った。

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