公明党と決別し、日本維新の会との新連立へ舵を切った自民党。高市新政権は安定と変革の狭間に立つ。
史上初の女性首相が誕生した。高市早苗首相の登場までの全5幕の政変劇は、第1幕が9月7日の石破茂前首相の辞意表明、第2幕が10月4日の自民党総裁選挙、第3幕は10日の公明党の連立政権離脱、第4幕は「ポスト石破」をめぐる与野党の攻防戦であった。15日、自民党と日本維新の会が連立樹立で大筋合意に達する。第5幕の21日、臨時国会で自民党の高市総裁が首相に指名された。
「初の女性首相」はもちろん歴史的な出来事だが、1999年10月以来、26年に及んだ「自公」連携の終幕と、2010年4月の結党(結成時は大阪維新の会)後、初めて国政で与党入りする維新の「自維」連携の開始も、注目すべき政党政治の新展開だ。
「10増10減」問題で自公の亀裂が顕在化
「自公」亀裂の気配は前々からあったが、23年、衆議院小選挙区の定数是正をめぐる「10増10減」問題で顕在化した。自民党選挙対策委員長として調整に当たった森山裕氏(後に幹事長)に当時、取材して「決裂の懸念」について尋ねると、「そんな怖いこと、考えたことも計算したこともない」と漏らしたが、2年後に「そんな怖いこと」が現実となった。
「自公」の内実は、「愛を失った結婚歴26年の夫婦が北国の湖で互いに顔をそむけながら氷上ダンスを演じる関係」と映った。支持基盤と連携の果実という「厚い氷」が健在の時代は大丈夫だったが、数年前からの「薄氷」で沈没の危険が高まる。ついに「氷上ダンス」も幕となった。
政変劇の第4幕で注目を集めたのが24年の衆院選で突然、大躍進を遂げた国民民主党の玉木雄一郎代表だ。本人は石破内閣時代から取材に答えて「いつでも代わって首相を」と、やる気満々だった。
国民民主党は今回、公明党の政権離脱までは、「自公国」連立の「玉木首相」案も視野にあったようだ。ところが、離脱後、少数与党の「自国」連立構想には背を向ける。第4幕では立憲民主党を含めた「立維国」構想に転じた。
とはいえ、安易な妥協には見向きもせず、立民側に大幅な譲歩を要求し続けた。「非自民政権」よりも、今後の党勢拡大重視が本音だったのではないか。



















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