今年(2025年)7月20日投開票の参議院議員選挙で、外国人の受け入れ抑制を訴えた参政党が躍進したことは、日本政治もポピュリズムの時代に突入したのか、と驚きをもって受け止められた。
ドイツをはじめとするヨーロッパで、右派ポピュリズム政党(右翼、極右政党)の台頭が著しい。参政党は右派ポピュリズムの「ドイツのための選択肢(AfD、ドイツ語読みでアーエフデー)」と連携する姿勢を見せていることからも、類似した性格を持った政治運動であると考えられる。
AfDはドイツの直近の世論調査で支持率がキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)に並び、初めて第1党となった。AfDはどのように党勢を拡大してきたのか。ドイツの既成政党はどう対処したのか。支持を伸ばす共通の土壌に何があるのか。
新たな状況に入った日本政治にとって、ドイツの状況は参考になるべき点が多いのではないか。
AfDはアンチ・メルケルで党勢を伸ばした
AfDは13年2月、ユーロ危機に直面したギリシャなど債務国への財政支援に反対する経済学者が中心となり結党した。結党時の党首はハンブルク大学の経済学教授ベルント・ルッケで、ドイツのユーロ圏からの離脱などを掲げたが、当初から、CDU・CSUを離党した右派的(国民保守的)な人々も加わった。CDU・CSUがアンゲラ・メルケル首相(在任05~21年)によってリベラル化(左傾化)することを嫌った人々だ。
AfD党内で、結党時の潮流と、CDU・CSUを離党した右派的な潮流の間の対立は次第に激しくなり、15年7月にルッケは離党して新党を作り、AfDの主導権は元CDU党員のアレクサンダー・ガウラントをはじめとする右派グループが握った。党内闘争で混乱するAfDは大きく支持を落とし、それまでの、西ドイツ以来の極右(右翼)政党(ドイツ国民民主党=NPD、ドイツ民族同盟=DVU、共和党など)と同様、泡沫政党で終わるのか、と思われた。
しかし、15年9月のメルケル首相の難民受け入れ政策によって、AfDは反移民・難民政策を前面に掲げるようになり、息を吹き返した。固定支持層を得たAfDは次々に州議会、連邦議会(下院)への進出を果たすことになる。



















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