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ドイツ総選挙、SPDが記録的な大敗を喫した理由 労働者階級の支持が得られなかった

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2月23日の連邦議会選挙において、ドイツ社会民主党(SPD)の得票率は16.4%にとどまった(写真:ブルームバーグ)

ドイツ社会民主党(SPD)は、議会制民主主義を提唱し、ナチズムに反対し、戦後のドイツの近代化を主導した実績を持つ、西側諸国で最も古い政党のひとつだ。

有識者による政治・経済コラムを翻訳掲載。週刊東洋経済掲載分だけでなく、多くの選りすぐりのコラムもタイムリーにお届けする。バックナンバーはこちら

同党は長年にわたり、労働、経済、人権に関する多くの重要な改革を実施してきただけでなく、1970年代にSPDの党首ならびに西ドイツ首相であったヴィリー・ブラントが主導した「東方政策」は、1990年のドイツ再統一の基礎を築いた。

しかし、今日のSPDにかつての面影はない。2月23日の連邦議会選挙では、得票率は16.4%にとどまり、キリスト教民主同盟 / キリスト教社会同盟(CDU/CSU)や極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の後塵を拝した。この敗北がなぜ起こったのか、そしてこれが西欧の社会民主勢力の将来にとって何を意味するのか考えてみる必要がある。

SPDの支持率は継続的に低下

SPDの支持率は2000年代の終わり頃から低下し始めた。2005年と2009年の連邦議会選挙では、それぞれ34.2%、23%の得票率にとどまった。1998年の選挙では41%近くの得票率を獲得していたことを考えると、大幅な減少である。

この落ち込みは、2000年代初頭にゲアハルト・シュレーダー首相が導入した「アジェンダ2010」と「ハルツ改革」に大きく起因している。労働市場の規制緩和と社会保障給付の削減により停滞するドイツ経済の活性化を狙ったシュレーダー首相の新自由主義プロジェクトは、強力な労働組合で組織された労働者階級の基盤とSPDの間に軋轢を生んだ。さらに、カリスマ的な財務大臣で元党首のオスカー・ラフォンテーヌがSPDの社会主義派閥を引き連れて左派連合に離反する事態を招いた。

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