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田中正明氏(三菱UFJFG元副社長)の証言 第2回/三菱UFJ誕生秘話、統合の陰に親友の鑑定意見

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三菱東京FGが住友信託銀行と繰り広げた「UFJ争奪戦」。大学時代からの親友が書いた「鑑定意見」が三菱東京を勝利に導いた。

田中正明氏
田中正明(たなか・まさあき)/1953年生まれ。東京大学法学部卒。三菱銀行に入行し、最終ポストは三菱UFJFG副社長。その後、産業革新投資機構社長、日本ペイントHD会長兼社長などを経て、現在はマネーフォワード社外取締役、米日カウンシル評議員会副会長などを務める(撮影:尾形文繁)
国際派、理論家、型破り――。さらには「ケンカまさ」の異名を持つ異色バンカー。金融激動の時代を駆け抜いた田中正明氏の証言を、4回に分けてお届けする。 

金融再生プログラムと産業再生機構の両輪により、不良債権問題が解消に向かい出したが、UFJホールディングス(HD)は不良債権処理が遅れていた。2004年3月期には4028億円の純損失を計上。資本増強の必要に迫られ、傘下のUFJ信託銀行を売却する検討が進んでいた。

買収に名乗りを上げたのは、統合せず独立路線を歩んでいた住友信託銀行。2004年5月、UFJ信託銀行との経営統合について住友信託がUFJグループと基本合意した。当時の大手銀行のうち、住友信託は三菱東京フィナンシャル・グループ(FG)に次いで公的資金を完済し、攻めの経営に転じていた。

21世紀に入ってから25年ほど経過した。この四半世紀を振り返り、その間の主な出来事や経済社会現象について、当事者たちの声を掘り起こしていく

ところが2004年7月、UFJHDが住友信託との合意を破棄し、三菱東京FGに経営統合の申し入れを行うと発表した。UFJHDは住友信託との基本合意締結後、金融庁検査によって財務の一段の悪化(引当不足)が明らかになり、3000億円程度だったUFJ信託の売却資金だけでは足りなくなっていた。より抜本的な健全化策が必要になり、グループ全体で三菱東京FGと統合することが最善の選択肢だと取締役会で決定した。

地裁判決後にかけた「1本の電話」

住友信託は、第三者との統合協議を制限した基本合意書に抵触するとして、東京地裁に対し、三菱東京FGとの交渉差し止めを求める仮処分の申し立てを行った。同年7月27日に示された地裁決定は住友信託が勝訴。この報道を見て、私は大学時代からの友人に電話をかけた。東京大学大学院法学政治学研究科で教壇に立っていた岩原紳作教授だ。

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