有料会員限定

田中正明氏(三菱UFJFG元副社長)の証言 第3回/リーマンショックの震源地で貫いた「人を大切にする銀行経営」

✎ 1〜 ✎ 11 ✎ 12 ✎ 13 ✎ 14
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小

リーマン・ブラザーズの破綻によって全世界に広がった金融危機。その震源地で1人もレイオフすることなく危機を乗り越えた銀行があった。

田中正明(たなか・まさあき)/1953年生まれ。東京大学法学部卒。三菱銀行に入行し、最終ポストは三菱UFJFG副社長。その後、産業革新投資機構社長、日本ペイントHD会長兼社長などを経て、現在はマネーフォワード社外取締役、米日カウンシル評議員会副会長などを務める(撮影:尾形文繁)
国際派、理論家、型破り――。さらには「ケンカまさ」の異名も持ち、金融激動の時代を駆けぬいた田中正明氏の証言を4回に分けてお届けする。

2007年5月、傘下のユニオン・バンク・オブ・カリフォルニアの頭取兼CEOとして、15年ぶりにアメリカへ赴任した。しかし、直後にパリバ・ショック(2007年8月)、翌年にリーマンショック(2008年9月)が発生。不運にも金融危機直前に米国の上場銀行のトップを引き受けることとなった。

21世紀に入ってから25年ほど経過した。この四半世紀を振り返り、その間の主な出来事や経済社会現象について、当事者たちの声を掘り起こしていく

頭取として私に課せられた最大のミッションは、マネーロンダリング対策の強化だった。すでに現地当局からマネロン対策が不十分だと指摘を受けており、行政処分がいつ発令されてもおかしくない状況だった。日本の不良債権問題がようやく片付いたと思った矢先、今度はアメリカで重大なコンプライアンス問題に取り組むことになる。

赴任初日から、会議室で現地当局の検査対応に追われた。当局といっても1機関だけでなく、OCC(通貨監督庁)、FDIC(連邦預金保険公社)、FRB(連邦準備理事会)、FinCEN(財務省金融犯罪取締ネットワーク)、DOJ(司法省)など複数機関の検査や調査に対応しなければならない。「何としても、この苦境を乗り越えなければならない」と覚悟した。3カ月で10キロやせた。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD