リーマン・ブラザーズの破綻によって全世界に広がった金融危機。その震源地で1人もレイオフすることなく危機を乗り越えた銀行があった。
2007年5月、傘下のユニオン・バンク・オブ・カリフォルニアの頭取兼CEOとして、15年ぶりにアメリカへ赴任した。しかし、直後にパリバ・ショック(2007年8月)、翌年にリーマンショック(2008年9月)が発生。不運にも金融危機直前に米国の上場銀行のトップを引き受けることとなった。
頭取として私に課せられた最大のミッションは、マネーロンダリング対策の強化だった。すでに現地当局からマネロン対策が不十分だと指摘を受けており、行政処分がいつ発令されてもおかしくない状況だった。日本の不良債権問題がようやく片付いたと思った矢先、今度はアメリカで重大なコンプライアンス問題に取り組むことになる。
赴任初日から、会議室で現地当局の検査対応に追われた。当局といっても1機関だけでなく、OCC(通貨監督庁)、FDIC(連邦預金保険公社)、FRB(連邦準備理事会)、FinCEN(財務省金融犯罪取締ネットワーク)、DOJ(司法省)など複数機関の検査や調査に対応しなければならない。「何としても、この苦境を乗り越えなければならない」と覚悟した。3カ月で10キロやせた。




















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