
黒い噂が付きまとった第一相互銀行(写真:東洋経済写真部)
戦後続いた「銀行不倒神話」の歴史を振り返るシリーズの最終回は、東京の第一相互銀行を取り上げる。
1981年から大蔵省銀行局長を務めた宮本保孝は、大半の金融機関は国から免許を与えられているため大蔵省の指導に従うが、「ごく一部の経営者にあっては、これに従わず資産内容の悪化を招いたり、社会的批判を受けたりする」ことがあった、とオーラルヒストリーで語っている。
そうした“問題銀行”に対しては、「最終的に罷免権といった伝家の宝刀が与えられていますが、かつてそれを発動した例はなく、当該経営内容や経営者の地位がのっぴきならないところまで立ち至ったところで、信用秩序の維持や預金者保護には万全の措置を講じつつ、その個別問題を処理するという手法を採ってきた」と宮本は語る。先週までの大光相互や平和相互がその代表例だが、第一相互の場合は、そんなやわな対応では片付かなかった。
第一相互は早くから“札付き”の問題銀行とみられていた。
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