
未曾有の乱脈経営が発覚した新潟の大光相互銀行(写真:東洋経済写真部)
東京の信用組合の破綻に始まった「銀行不倒神話」が、その後どう守られてきたかを振り返る。最初のハードルは、1970年代末に未曾有の乱脈経営が発覚した新潟の大光相互銀行である。
大光相互は長岡市に本店を置き、戦後、無尽会社から相互銀行に転換した。新潟財界の重鎮だった初代社長の駒形十吉が元首相の田中角栄と昵懇(じっこん)だったことから「角栄の金融機関」とも呼ばれ、いわゆる田中金脈をめぐり国会で取り上げられたこともあった。
この銀行に「裏保証」があるという情報を大蔵省がキャッチしたのは78年の暮れである。
当時銀行局長を務めていた徳田博美のオーラルヒストリーによると、ある金融検査官が大光相互の検査で保証付き融資を見つけたのがきっかけだった。前回の検査では存在しなかった保証に、「これはおかしい」と直感したという。
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