有料会員限定

自己責任求める大蔵省が公的資金に「待った」 宮澤喜一と公的資金④

✎ 1〜 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 16
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小
1993年当時の寺村信行銀行局長
昭和金融恐慌への対応にヒントを求めた寺村信行銀行局長(1993年撮影)(撮影:梅谷秀司)

かつて大蔵省(現財務省)に銀行局という組織があった。明治13年(1880年)に設置され、昭和金融恐慌など数々の動乱をさばき、日銀を支配下に置き、銀行界を指揮してきた。局の歴史は主計局や主税局よりも古く、日本の金融経済史そのものといってもいい存在だった。

1992年夏。公的資金投入に意欲を見せる宮澤喜一首相に立ちはだかったのは、当時銀行局長を務めていた寺村信行である。

寺村のオーラルヒストリー記録によると、6月末に銀行局長に就任した際、前任の土田正顕から手渡された分厚い引き継ぎ資料の表紙にはこう書かれていたという。

銀行局は今や火事場となった。悪戦苦闘の日々が続く。ご健闘を祈る

バブルの崩壊が始まってからすでに2年が経過していた、だが、株価の暴落は止まらず、地価の下落も始まっていた。

関連記事
トピックボードAD