なぜ人は宗教に時間とお金を費やすのか…貧しい女性が進んで教会に献金する「意外な動機」
気前のよい貧者
貧しい人がどうしてわざわざ裕福な人にお金をあげるのだろうか。2015年2月、ガーナの首都アクラで、ある若い女性(ここでは仮にグレイスと呼ぶ)と話をしたとき、わたしの頭を離れなかったのは、この疑問だった。
彼女はわたしの研究チームの経済学の実験に被験者として参加するため、セントラル大学(CUC)の研究室に来てくれていた。年齢は24とのことだった。質素ながら小ぎれいな身なりをしていて、口数は少ないが、物腰に聡明さが感じられた。きっとそれなりの学校を出ていて、今は小企業か行政機関で事務員か何かをしているのだろうとわたしは思った。
これはとんでもない見当外れだった。グレイスは週6日、アクラへと通じる幹線道路に行き、信号待ちをする車列のあいだをひたすら往復している。そうやって歩きながら、小さなビニール袋入りの氷水を、頭に載せたかごの中から取り出して売っている。




















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