なぜ人は宗教に時間とお金を費やすのか…貧しい女性が進んで教会に献金する「意外な動機」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

グレイスの日々の労働をつぶさに思い描いてみなければ、なぜ日曜日に教会に通うことが彼女にとってそんなに重要な意味を持つのかはわからないだろう。日曜日に教会に行くときには、洗い立てのきれいな服を着られる。案内係として、教会に来た人たちと気持ちのよい挨拶を交わすことができる。

日曜学校では自分より若い人や、自分よりもっと弱い立場に置かれた人たちに対して責任を持つことができる。ほかの人といっしょに歌うことができる。平日を露天商としてともに過ごしているいろいろな人たちとおしゃべりができる。友だちをつくることもできる。

この恐ろしい街でなりゆきで選んでしまうかもしれない求婚者よりも、飲んだくれて妻に暴力を振るう可能性が低い未来の夫と出会えるかもしれない。こういうことをすべて、自分のことを受け入れ、敬意を払ってくれるコミュニティの中ですることができる。

教会に通うために収入の8分の1を支払うというのは、むしろ安く感じられるのかもしれない。わたしたちのように外部から見ている者には、大金持ちといってもいいウィリアム牧師が貧しい女性に献金を求めるのは、理不尽なことに思える。

しかしグレイスにとってはそういう問題ではない。コミュニティの一員でいるために十分の一税を納める必要があるなら、彼女は喜んでそれを納めるだろう。

宗教団体が提供する「商品」と「サービス」の対価

そこにはさらに複雑な要素もある。もしネットフリックスの月々の利用料を支払わなければ、あなたはコンテンツを見られなくなるだろう。もしウォルマートのレジで代金を支払わなければ、あなたはかごに詰めた食品を持ち帰ろうとするのを止められるだろう。

しかしグレイスは十分の一税を納めなくとも、教会には喜んで受け入れてもらえるのだ。ただし、以前ほど、心から歓迎されているとは感じられなくなる恐れがある。それまでは温かい微笑みをたたえていた牧師が、いくらかしぶい表情を見せるようになるかもしれない。

路上でどなられたり、蔑まれたりしている日々の生活とは違って、ここでは誰からも大事にしてもらえる。それは単に教会に来ているからではなくて、みずから進んで教会に来て、あり金をはたいて献金しているからこそだった。

そのことはグレイスもウィリアム牧師もわかっている。牧師と教会に集う人々のおかげで、グレイスは自分を誇らしく感じることができる。そのように感じられるのには、グレイスがウィリアム牧師を神と特別な関係を持つ人と信じていることも大きく関係している。

21世紀に入ってからも、世界の何十億という人々が宗教指導者の呼びかけに応えて、時間と労力とお金を宗教団体に費やしている。大半を占めるのは、グレイスと同じように、冷静かつ明晰な判断のもとにそうしている人々だ。

その結果、宗教団体が世界各地で強大な力を手にしている。ときに宗教指導者は単なる精神的な指導者に留まらない。比喩的にではなく、文字どおりの意味で、人々に命を捧げるよう求めることすらある。

(翻訳:黒輪篤嗣)

ポール・シーブライト トゥールーズ大学経済学部教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

Paul Seabright

トゥールーズ大学経済学部教授。2021年までトゥールーズ先端研究センター所長を務める。2021~2023年、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェロー。

著書に、『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?――ヒトの進化からみた経済学』(みすず書房)、The War of the Sexes: How Conflict and Cooperation Have Shaped Men and Women from Prehistory to the Present(Princeton University Press)などがある。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事