なぜ人は宗教に時間とお金を費やすのか…貧しい女性が進んで教会に献金する「意外な動機」
1日の稼ぎは、1.5ドルをわずかに超える程度にしかならない。炎天下の路上で12時間、埃と排気ガスにまみれて、へとへとになるまで働いたら、スラム街にある粗末な家に帰る。家では、数年前いっしょに上京してきたおばと2人で暮らしている。
日曜には教会に行く。教会では案内係として、訪れた人を出迎えて席を案内している。それが終わると、聖歌隊の一員として聖歌を歌う。さらに日曜学校の手伝いもしている。
教会への献金も怠っていない。収入の10%を納める伝統的な十分の一税に加え、ミサの最中に求められる献金にも応じている。それらを合わせると、教会に差し出している金額は、ただでさえ少ない収入の12%前後にものぼる。教会に献金すれば、病気がちのおばの治療代など、ほかのことにお金が使えなくなることがわかっていながらだ。
教会の指導者で、献金をおもに受け取っているウィリアム牧師(仮名)は、元気で笑顔を絶やさない、とても感じのいい人物で、たいへんな金持ちでもある。金持ちであることを隠そうとはせず、大きなメルセデスに乗り、ズボンのベルトにはドル記号をあしらった大きな丸いバックルがついている。
完璧に仕立てられたスーツも足りていて、もらっても困るといったところだろう。グレイスからの献金を必要としていないことはひと目でわかる。なのに、グレイスはみずから進んで献金している。なぜそんなことをするのか。
貧しい信者が裕福な牧師に献金する「合理的な」理由
グレイスが単に愚かだからとか、だまされているからといった答えが正しくないのは確かだ。グレイスは自分がしていることをはっきりと理解している。わたしよりよっぽどしっかりした金銭感覚の持ち主だ。ほかの教会に移ろうと思えば移れることも知っているし、十分の一税を納めなくとも、献金箱にお金を入れずとも、今の教会にいられることも知っている。それでもこの教会に留まって、毎回、きちんとお金を納めている。
有望な答えといえそうなのは、このグレイスの気前のよさは別段めずらしい振る舞いではない、なぜなら貧しい人や中間層はふだんからたえずお金持ちにお金を払っているのだからというものだ。そもそもお金持ちがお金持ちになれるのはそのおかげだ。
もちろん、お金を払っている人たちは自分たちの行為を献金とは思っていないだろう。それでもウォルマートで食品を買ったり、ネットフリックスの契約を更新したり、ルイ・ヴィトンのバッグを購入したり、アマゾンプライムに登録したりするとき、たいていの人は自分がそうすることでお金持ちをさらに富ませるのに貢献していると気づいている。



















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