中野:Warfare State(戦争国家)がWelfare State(福祉国家)になっていくという流れですよね。実際には、左派がそれを知ったところで、ますます不愉快になるだけで、反省はしないと思いますね(笑)。
施さん、ありがとうございました。では、佐藤さんはどんなご意見でしょうか?
佐藤:コンサバティズム、保守主義とは、読んで字のごとく「社会や国家にとって大事なものを保って守る」理念です。ゆえに時代や状況の変化に伴い、「これは保って守るべきだ」と見なされるものが変化すれば、コンサバティブ、保守派の内実も変わる。
ニューライトが台頭した1950年代の前半から半ばは、長らく地域覇権で満足していたアメリカが、世界的な覇権を本格的に志向しはじめた時期です。国としての立ち位置の変化が、保守派の刷新につながった。そのきっかけは冷戦の深刻化ですから、冷戦勝利の立役者となるレーガン政権の登場で、ニューライトの勢いが頂点に達したのも必然です。
ところが冷戦終結後、一極支配が成立したことで、アメリカの立ち位置はまた変わりました。自国の理想を世界規模で実践することが可能になったのですが、これがかえって手詰まりの状況を引き起こしてしまう。
保守すべきは国の理想か現実か
その根底にひそむのは、国のあり方をめぐる理想と現実のズレの拡大です。一方では「多をもって一となす」という建国のモットーの通り、世界中から人々が集まって、自由と平等を謳歌しつつ、平和で繁栄する社会をつくるという理想がある。ただし現実のアメリカは白人中心の国家であり、当初は奴隷制まで容認されていた。
近年のアメリカの保守派は、非白人人口の増加により、遠からず白人が少数派になってしまうと危惧しています。彼らにしてみれば、むろん切実な問題でしょう。しかし「多をもって一となす」の発想に従うなら、それでも全然構わないという話になる。建国の理想を保守することと、長年の現実を保守することが両立しなくなっているのです。
国のアイデンティティが大きく揺らいでいるのですから、保守派のあり方が激動するのも自明の理。さらにSNSの発達によって、それまで「異端」「キワモノ」と片付けられていた過激な言論が脚光を浴びやすくなった。
こんな混乱した状況の中で、もう一回、アメリカの理想と現実に接点を持たせられないかという思いが、リンドにこの本を書かせたのでないかと見ています。