
自由はとても大切なものだとして、放任をしていては自由はみな平等には得られない。アメリカ合衆国という最も裕福な国ですら、自由は平等にあるとは言えない(写真:gandhi/PIXTA)
ミルトン・フリードマンは1940年代から活躍し現在の“新古典派経済学”あるいは“新自由主義”の形成に貢献した重鎮であり、1980年代の英サッチャー政権やアメリカ・レーガン政権を生み出した経済学者として、現在に続く“主流派”を主導した。その影響力の巨大さを考えれば、フリードマンは当時の世界最強の経済学者といってもいいだろう。
ジョセフ・スティグリッツが現代の最強経済学者だとすれば(前回参照)、フリードマンはその前の世代の最強経済学者であった。
フリードマンはすでに故人ではあるが(2006年死去)、経済思想としては主流派としていまなお君臨している。両者はいま、その経済思想の盟主の座を巡って、最強同士の激烈なバトルを行っている。
フリードマンの主著『資本主義と自由』、そしてスティグリッツの最新著作『スティグリッツ 資本主義と自由』、双方を補助線にしながらその世紀の対決をガイドしていこう。
“主流派”とは何か
まず前段として背景の説明を必要最小限でしてみたい。経済学には学派、流派がある。細かい差異を考慮に入れれば数十にもなるような多様な考え方が経済学には存在し、派生過程や示唆する帰結によって遠縁近縁も存在するが、その時点で多数派として最も勢いがある学派のことをいわゆる“主流派”と呼んでいる。
主流派になればアカデミアにおいても職を得やすく研究資金も潤沢となり、実務界でも重要ポストに起用され影響力を増しやすい。必ずしも主流派でなくともよいのではないか、という意見ももちろんあるだろう。
しかしながら社会科学の、とりわけ“経済の医者”たる経済学に関しては主流派にいられるかどうかが現実的にはかなり重要で、時に残酷なまでに命運を分けてしまう。これは経済学者においても社会にとっても、ということだ。
いま現在の世界的な経済学の主流派は「新古典派経済学」と呼ばれる。
フリードマンは新古典派経済学がいま主流派として君臨するその立役者であり、尊敬を集め、その影響力を誇ることで最強経済学者となった。
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