新古典派経済学は“古典派”がつくことからも明らかなように、経済学的には非常にオーソドックスな考えを基本にしている。18世紀のアダム・スミスから始まる、自由市場の“神の見えざる手”による理想的なリソース配分を経済活動の原動力にしようという考えだ。
この考えはシステム論的な強靭さをもち、王政などの封建主義的な重商主義を打ち負かすほどの合理性を持っていた。
しかし大きな弱点もあった。それは歴史的事実として不況を克服できなかったのだ。また不況は連鎖して、その帰結として世界的に戦争が多発することにもつながってしまった。
当時の主流派である古典派は、「いずれ市場が解決する」「よくないところが淘汰されるためのプロセスなのだ」と言うばかりで不況に対応することができずに、経済の医者としての信頼を徐々に失っていった。
これが19世紀終わりから20世紀初頭にかけての状況であり、古典派が主流派として行き詰まり、世界情勢としては国家間の紛争が頻発していく暗澹たる時期と重なっている。
古典派の衰退と“ケインズ経済学”の台頭
そして古典派が名実ともに主流派から陥落する事件が起こる。きっかけは、ジョン・メイナード・ケインズによる古典派批判で、ケインズ自身は当時の古典派の聖地であるケンブリッジ大学で将来を嘱望される経済学者であった。ケインズは古典派の経済学を丹念に検証し、その弱点を見つけて修正を行っていた。その論争は身内での戦いであったが故に壮絶なものであった。
古典派が処方箋を出さないタイプの医者であるのに対し、ケインズは有効だと思われる処方を積極的に行う。とくに“有効需要”と呼ばれる概念を提出して、たとえば不況の際の公共事業によって経済を刺激することで一時的なスランプを脱出できると説いた。
それらは実行に移されて、ケインズは実際に効果を上げていく。古典派がなすすべがなかった不況は新しいケインズ経済学で克服できる、という“福音”は不況や戦争に疲弊した世界に“ケインズ革命”として瞬く間に広がっていった。そのための経済の医者も大量に必要になり、ケインズ経済学は大潮流になっていく。ケインズはこの時代のまごうことなき最強経済学者となったのだ。
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