最強経済学者による世紀の対決「フリードマンvsスティグリッツ」…「資本主義と自由」を巡る最終論戦

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

当然だが、スティグリッツももちろん介入による無駄や腐敗を良しとはしていない。政府批判、IMF批判をはじめ、人一倍腐敗には嫌悪感を持っている。腐敗を排し、大切な自由を皆が手にできる“賢い”施策の実施を説く、そのための理論であり方策論がスティグリッツの“プログレッシブ・キャピタリズム”(進歩的な資本主義)であり、彼の政治経済学の中心に据えられている。

そのなかで、スティグリッツは“小さすぎる政府”の悪影響に対して警鐘を鳴らしている。「格差の再生産がそれにより促進し、オオカミがさらに肥えヒツジが日々怯えて暮らす、その装置となってはいないか、それを(誰かが)意図していないか?」と新自由主義の欺瞞を批判するのである。

実際にポピュリズムを生み出してきたのは?

また余談だが、『隷従への道』(The Road to Serfdom)で有名なフリードリヒ・ハイエクは早期からのケインズの批判者で、自由主義のスランプはむしろ生態系のように適者生存と新陳代謝によって経済環境を強化する“痛みを伴うプロセス”だと主張している。

そんなハイエクに対して、(The Road to Freedomを説く)スティグリッツはフリードマンと同等かそれ以上の危うさを感じているようである。

フリードマンとハイエクは、資本家たちの思想的しもべだった。政府の役割や共同行動の縮小を望み、世界大恐慌(金融政策の不適切な運営)など、経済の失敗と思われるあらゆる出来事を政府のせいにした。
そして、どのような経済状態がファシズムや共産主義につながったのかという歴史的現実を無視し、自由市場に対する政府介入こそが全体主義につながると主張した。だが、実際にポピュリズムを生み出し、繰り返し社会を独裁主義へと向かわせてきたのは、大きすぎる政府ではなく、小さすぎる政府(その時代の重要問題に対して十分な対処をしない政府)なのである。

(『スティグリッツ 資本主義と自由』)

炎がほとばしるかのようなスティグリッツ渾身の、しかも半世紀以上をかけた積年の反論である。スティグリッツの新著にはこのように自由を巡る鋭利な問題提起や熱い反論、具体的な提案が随所にちりばめられている。フリードマン亡き今、(主流派の)誰がこのスティグリッツの主張に反論ができるだろうか。

佐々木 一寿 経済評論家、作家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

ささき かずとし / Kazutoshi Sasaki

横浜国立大学経済学部国際経済学科卒業、大手メディアグループの経済系・報道系記者・編集者、ビジネス・スクール研究員/出版局編集委員、民間企業研究所にて経済学、経営学、社会学、心理学、行動科学の研究に従事。著書に『経済学的にありえない。』(日本経済新聞出版社刊)などがある。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事