当然だが、スティグリッツももちろん介入による無駄や腐敗を良しとはしていない。政府批判、IMF批判をはじめ、人一倍腐敗には嫌悪感を持っている。腐敗を排し、大切な自由を皆が手にできる“賢い”施策の実施を説く、そのための理論であり方策論がスティグリッツの“プログレッシブ・キャピタリズム”(進歩的な資本主義)であり、彼の政治経済学の中心に据えられている。
そのなかで、スティグリッツは“小さすぎる政府”の悪影響に対して警鐘を鳴らしている。「格差の再生産がそれにより促進し、オオカミがさらに肥えヒツジが日々怯えて暮らす、その装置となってはいないか、それを(誰かが)意図していないか?」と新自由主義の欺瞞を批判するのである。
実際にポピュリズムを生み出してきたのは?
また余談だが、『隷従への道』(The Road to Serfdom)で有名なフリードリヒ・ハイエクは早期からのケインズの批判者で、自由主義のスランプはむしろ生態系のように適者生存と新陳代謝によって経済環境を強化する“痛みを伴うプロセス”だと主張している。
そんなハイエクに対して、(The Road to Freedomを説く)スティグリッツはフリードマンと同等かそれ以上の危うさを感じているようである。
(『スティグリッツ 資本主義と自由』)
炎がほとばしるかのようなスティグリッツ渾身の、しかも半世紀以上をかけた積年の反論である。スティグリッツの新著にはこのように自由を巡る鋭利な問題提起や熱い反論、具体的な提案が随所にちりばめられている。フリードマン亡き今、(主流派の)誰がこのスティグリッツの主張に反論ができるだろうか。
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