最強経済学者による世紀の対決「フリードマンvsスティグリッツ」…「資本主義と自由」を巡る最終論戦

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また、数学で武装はしているとはいえ、これは処方箋を出さないタイプの経済の医者であることは明らかだろう。出さないほうがよい理由を精緻に展開している。

そのうえでさらに、十数の“やめるべき処方箋”リストも挙げている。たとえば以下のようなものだ。

・農産物の買取保証価格制度
・輸入関税および輸出入制限
・家賃統制
・最低賃金法
・詳細な産業規制
・ラジオ・テレビの規制
・社会保障制度
・職業免許制度
・公共住宅
・徴兵制度
・国立公園の管理
・郵便事業の独占
・公共事業による雇用創出
・企業への直接補助金
(など)

自由放任を良しとする氏の特徴がよく表れているが、これらは当時すでにニューディーラーたちが行っていたか、行おうとしていたことに符合する。そんなものは無用であるばかりか害すらあり、介入せずに市場に任せておけば良く、その経済主体の自由こそが経済的な適切さと政治的な正しさを担保するのだと宣言する。新古典派(経済学)を基本とした新自由主義(の政治)の時代の到来を予言したのである。

「経済的自由は、それ自体が目的であるだけでなく、不可欠な政治的自由の手段でもある。」
「政府の役割は、ルールを作り、審判をすることであり、プレイヤーとしてゲームに参加することではない。」
「自由市場は、差別をなくす最も効果的な手段である。」

(フリードマン『資本主義と自由』)

フリードマンへのスティグリッツの世紀の反論

それらへのスティグリッツの反論だが、これはまず氏の発言から直接引くほうが良いだろう。

私は1960年代後半に、シカゴ大学で開催したセミナーでフリードマンと対談するにあたって、市場は効率的にリスクに対処できないことを証明してみせたことがある。私が一連の論文を通じて立証したその結果は、執筆から半世紀がたったいまも論破されていない。
そのときの対談は、間違っているのは私であり、市場は効率的だというフリードマンの主張から始まった。そこで私は、自分の証明のどこに誤りがあるのかを指摘するよう相手に要請した。ところがフリードマンは、自分の主張や市場信仰に立ち返るばかりで、結局対談は行き詰まってしまった。

(『スティグリッツ 資本主義と自由』)
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