緊縮財政は「経済学」という名の政治的武器なのか 資本主義を守るための「反民主主義」理論 巧妙なメカニズムで階級対立を飼いならす

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縮小
階級社会
緊縮財政は特定の階級の利益を守るための政治的武器なのでしょうか(写真:bee/PIXTA)
現代社会において、「緊縮」と聞くと、多くの人は「財政再建のための仕方ない政策」と考えるだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。クララ・E・マッテイ『緊縮資本主義:経済学者はいかにして緊縮財政を発明し、ファシズムへの道を開いたのか』では、緊縮が単なる経済管理上の切り札ではなく、特定の階級の利益を守るための政治的武器であると論じている。第一次世界大戦後の危機的状況で生まれたこの「武器」が、いかにして資本主義体制を守り、私たちの社会に深く浸透していったのか、その歴史をひもとく。同書「はじめに」からの抜粋第2回(第1回はこちら

緊縮は「経済管理上の切り札」ではない

前世紀からあまりに世は緊縮にどっぷり漬かってしまったために、ほとんど見破られることもなくなった。予算削減と国民の忍従を伴う限りにおいて、今日で言うところの経済学とそれはほぼ同義だ。

『緊縮資本主義: 経済学者はいかにして緊縮財政を発明し、ファシズムへの道を開いたのか』
『緊縮資本主義: 経済学者はいかにして緊縮財政を発明し、ファシズムへの道を開いたのか』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

このことが、特に階級の用語として見たとき、緊縮策の歴史に対する批判を識別困難なものとしている。

しかし、緊縮策を経済管理上の切り札として見るのではなく、階級の眼鏡から歴史を考察する限り、それが資本主義社会の根幹をなす何かを秘め続けているのは間違いない。

資本主義が経済成長を実現するため、すなわち人が賃金獲得の目的で労働力を売るためには、資本の社会関係が全体から見て統一性を備えていなければならない。

言い換えれば、経済成長とは、特定の社会政治秩序、もしくは「資本秩序」を前提としていると見なければならないのだ。

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