
緊縮は「経済管理上の切り札」ではない
前世紀からあまりに世は緊縮にどっぷり漬かってしまったために、ほとんど見破られることもなくなった。予算削減と国民の忍従を伴う限りにおいて、今日で言うところの経済学とそれはほぼ同義だ。
このことが、特に階級の用語として見たとき、緊縮策の歴史に対する批判を識別困難なものとしている。
しかし、緊縮策を経済管理上の切り札として見るのではなく、階級の眼鏡から歴史を考察する限り、それが資本主義社会の根幹をなす何かを秘め続けているのは間違いない。
資本主義が経済成長を実現するため、すなわち人が賃金獲得の目的で労働力を売るためには、資本の社会関係が全体から見て統一性を備えていなければならない。
言い換えれば、経済成長とは、特定の社会政治秩序、もしくは「資本秩序」を前提としていると見なければならないのだ。
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