緊縮財政は「経済学」という名の政治的武器なのか 資本主義を守るための「反民主主義」理論 巧妙なメカニズムで階級対立を飼いならす
この国家介入主義は、連合国の勝利を可能にしただけでなく、賃金関係や生産の民営化が「自然」な状態とはほど遠く、階級意識による政治選択に他ならなかったという事実を白日のもとに晒した。
階級対立を飼いならす「緊縮の三位一体」
戦後、ヨーロッパの労働者は、積極的な動員による新たな経済上の前例に力を得て、より強力かつ過激な声を上げ、投票以外の方法で自己を表現するようになった。
労働組合、政党、ギルド、そして生産管理のための階級制度を通じて集団的な権力を強化した。国民の大部分が政治化したことは、経済問題において世論を無視できなくなった現実を意味していた。
ヨーロッパ全土で類を見ない民主主義の大変動が起こったその瞬間、金融インフレが高まり、ロシア、バイエルン、ハンガリーから革命の嵐が吹き荒れる中、経済学者は自らが考える世界を堅持するために「伝家の宝刀」を抜かなければならなくなった。その冴えわたる武器こそが、緊縮策だった。
この緊縮による巻き返しは、多数派をなきものとした。
政府と専門家は、抑圧的な賃金・雇用政策を通じた直接的な方法に加えて、経済を引き締めて失業率を上昇させる制限的な金融・財政政策を通じた間接的な手法を用い、多数派を資本に服従させる政策に着手した。
すなわち、その対策は、多数派が賃金と引き換えに労働力を売る社会関係を再構築することにあった。
緊縮策は、大多数の労働者から少数の貯蓄者・投資家へと財源をシフトさせ、そうすることで生産のしわ寄せを国民に受け入れさせた。
このことは、資本主義を唯一にして至高のものと奉ずる経済学者らによって、さらに確固たるものとなった。
緊縮策がこれほど効果を上げたのは、率直かつ晦渋な経済学の語彙で包装されていたためである。
アダム・スミス、デヴィッド・リカード、ロバート・マルサスの時代から、経済学者によって重宝された「勤勉」や「倹約」といった漠然とした用語は、個人の美徳や行き届いた政策の素材として育て上げられてきた。
しかし、20世紀の緊縮策は、初めて投票権を獲得した市民の政治参加と経済民主主義への要求が突き上げられる中、国家主導のテクノクラート計画として実用に供されている点で、それ以前の道徳運動とはまったく異なるものだった。
緊縮策は、ボトムアップの社会変革の脅威に立ち向かう反民主主義的な反動としてその本質が理解されなければならない。
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