1970年の大阪万博、オイルショック…激動した昭和ニッポンの最前線で汗を流した「スーパーゼネコン」の軌跡

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埼玉県の志木ニュータウン。鹿島建設による開発で1988年に完成した(撮影:堀口)

高度成長期に万博や高層建築、原発開発が進んだ。1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博、オイルショックなど、昭和ニッポンにはさまざまなイベントや課題が発生していた。その最前線で汗を流し、都市や巨大施設を作り上げていったのはゼネコン各社だ。

これまでテキストデータとしての入手が困難であった、戦前期から戦後、高度経済成長期、バブル期にかけての『会社四季報』記事がテキストデータとして利用可能に。「東洋経済データベースサービス」はこちら 。各種データのカスタマイズにも対応します

会社四季報の記事には、当時の超繁忙ぶりや国家的なプロジェクトに挑む企業の記録が、端的に記載されていた。

このたび、テキスト化した四季報記事から昭和ニッポンの躍動を感じられる記述を紹介していきたい。

1960年代初頭:「超繁忙」と「資本金3倍」の熱狂

1960年代初頭は、東京オリンピックを1964年に控え、日本列島で建設ラッシュに沸いていた。まずは1961年の記事から、そのすさまじい勢いを見ていく。

(画像:『会社四季報』1961年夏号)

「前期の決算は業界のトップに立った。業況は三月末の手持ち工事が消化能力の一年分もあって超繁忙状態を呈している」「三年後の資本金は現在の三倍ぐらいにまで膨張するだろうし、配当も二割を割ることはあるまい。株価はいずれ六〇〇円台乗せか」(大成建設1961年夏号)

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