1970年の大阪万博、オイルショック…激動した昭和ニッポンの最前線で汗を流した「スーパーゼネコン」の軌跡

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国内は当面停滞と不振だった一方で、「クウェートで火力発電所」と中東で巨大施設の建設を受注したことが記載されている。建設業界でもこの時期から、海外進出を本格的に進めるようになっていった。

1970年代後半:ニュータウン開発とエネルギー転換

オイルショックを乗り越えた日本では、ニュータウン開発や新たなエネルギー源の確保に動いていく。

都心では地価が上昇し、郊外への人口流出が加速していた。その流れを受けて、ゼネコン各社もデベロッパーとして街づくりに参入した。

(画像:『会社四季報』1978年秋号)

「志木ニュータウン開発は10月に発売開始、本格寄与は来期」(鹿島建設1978年秋号)

志木ニュータウンは、1971年に鹿島建設によって始められた大規模なプロジェクトで、いわゆるニュータウン開発の一例だった。17年の歳月をかけて1988年に開発の総面積が35万㎡に及ぶプロジェクトが完成、約1万1000人が暮らす街が完成した。

(画像『会社四季報』1979年新春号)

「海外受注は中近東中心に前半一五一億円で増勢、取り組み本格化。東電・福島第二原発の四号機受注が内定。土木ではLNG、石油備蓄関連が焦点」(清水建設1979年新春号)

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