1970年の大阪万博、オイルショック…激動した昭和ニッポンの最前線で汗を流した「スーパーゼネコン」の軌跡
1972年になると万博も去って、景気には停滞感がみられたが、このころに超高層ビルの開発が進められるようになった。新宿の浄水場跡地などで始まった高層ビルの建築を鹿島建設の記事からみることができる。
「景気の早期回復は期待できないが期中に国際電電ビルや住友新宿ビルなどの超高層の受注を予定しており受注二三〇〇億~二四〇〇億円を目標にする」(鹿島建設1972年春号)
ここに登場する国際電電ビル(現KDDIビル)や住友新宿ビル(新宿住友ビル)は、現在も日本を代表するランドマークとなっている超高層ビルだ。日本は有数の地震国でありながら超高層ビルが建てられるようになったのは、この時代に培われた建築技術の革新があったからこそといえる。都市の過密化に対応した高層建築の建設は、今でも再開発事業の基本だが、この時代に始まった。
1970年代半ば:オイルショックと海外への進出
1973年にオイルショックが日本経済を直撃。国内の建設投資は冷え込んでいた。そこでゼネコン各社が活路を求めたのは、潤沢なオイルマネーに沸く海外、中東だった。
「不採算工事が残るうえ金利急増で利益は横ばいにとどまる」「クウェートで火力発電所(約一八七億円)を受注。土地投資は当面停滞」(大成建設1974年秋号)



















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