【追悼】ポピュリズムに背を向けた「リベラルの良心」大塚耕平氏、日銀出身の経済博士が魑魅魍魎の政界で問い続けた真理

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大塚耕平
内閣府副大臣や民進党代表、旧国民民主党共同代表などを務めた大塚耕平・元参議院議員(撮影:尾形文繁)

2026年3月2日、元参議院議員の大塚耕平氏が心不全のため逝去した。66歳だった。葬儀は近親者で執り行われ、喪主は妻の真理子さんが務めた。日本銀行出身の理論派政治家として23年間にわたり参議院の一翼を担い、経済学・財政論・仏教哲学を縦横に駆使した奇才が静かにこの世を去った。

政治家の死を悼む文章は、ともすれば功績の羅列か、党派的な評価に流れがちである。だが、大塚氏についてはそういう書き方をする気になれない。政治の話はほかに書く人がいる。私は、長年の友人を失った1人として、知られざる「人間、大塚耕平」について書き残しておきたい。

日銀マンから「学究肌国会議員」に

私が大塚氏と出会ったのは、早稲田大学大学院の社会人大学院生として机を並べた頃のことである。当時、彼は日銀で「政策委員会室調査役」という職に就き、金融市場調節の実務とマクロ経済学の研究という、二足のわらじを履いていた。

互いにお酒の全盛期でもあった。天下国家をさかなにした議論は尽きず、気づけば夜が更けていた。飾らない人柄でありながら、酒に飲まれた姿を一度も見たことがない。飲み崩れることなく、最後まで「粋」を保っていた。

転機は突然訪れた。政治の道へ進むことを決めた01年、筆者の自宅に電話がかかってきた。「とんでもないことをしたかなと思いつつ、こうなってしまって……」と。笑いとも諦めともつかぬその声音に、彼らしい覚悟と照れがにじんでいた。

その直後に行われた参議院議員選挙で初当選し、政治家・大塚耕平が誕生した。

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