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原発賠償「関西訴訟」が結審へ。福島原発事故を機にした集団訴訟約30件のしんがりを務める裁判で判決の焦点は?森松明希子・原告団代表に聞く

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森松明希子(もりまつ・あきこ)/原発賠償関西訴訟原告団代表。1973年生まれ。2011年3月11日、福島県郡山市在住時に、東日本大震災および東京電力・福島第一原子力発電所事故で被災。3歳と0歳の2児を連れて同年5月に大阪府に母子避難。13年9月に国と東電を提訴。原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表も務める。また、東日本大震災避難者の会Thanks & Dreamを主宰。国内外で講演を続け、原発事故被害者の人権について訴え続けている。19年に「黒田裕子賞」受賞。24年に「女性リーダー支援基金」受賞。自著に『母子避難、心の軌跡』『災害からの命の守り方』など(写真:筆者撮影)
東京電力・福島第一原子力発電所の事故により大阪府など関西に避難した人たちが起こした「原発賠償関西訴訟」が、2025年12月24日に大阪地方裁判所で結審(訴訟審理の終結)を迎える。
これまで全国では国や東電を相手取って約30件、1万人以上による集団訴訟が起こされ、高裁段階では国の責任を認める判決も相次いで出た。しかし、22年6月に最高裁判所が4つの集団訴訟に関して国の責任を認めない判決を出して以降、高裁などの下級審での後続の訴訟では国の責任を否定する判決が相次ぐ。東電による「区域外避難者」への賠償についても事故が発生した年である11年の12月末までしか認めないといった判決が目立つ。
こうした中、集団訴訟のうちで事実上の“しんがり”を務めている関西訴訟に注目が集まっている。13年9月17日の提訴(第1次)から12年以上が経過。この間に原告79世帯すべてを対象に「本人尋問」と呼ばれる手続きが実施された。ほかの裁判では一部の原告に限って本人尋問が行われるケースが多い中で、大阪地裁では異例とも言える丁寧な手続きが取られてきた。本人尋問は23年5月24日から25年9月11日までの約2年3カ月に及んだが、この間に裁判長の交代はなく、同じ裁判長がすべての尋問手続きを実施した。
東洋経済オンラインは、関西訴訟が結審を迎えるに当たり、原告団代表を務める森松明希子氏に、裁判の意義や結審の日を迎えるに当たっての思いについてインタビューした。

12年にわたる裁判が結審を迎える

──12年以上に及んだ裁判が近く結審を迎えます。

私は第1次訴訟の原告の一人として13年9月に国と東電を相手取って提訴しました。その時の原告は27世帯80人でしたが、その後、2~4次の追加提訴があり、今回、結審を迎えるのは79世帯222人です。人数としては、関西に避難してきた原発事故の被害者のうちのごく一部ですが、それでも審理にはこれだけの年月がかかりました。もっと丁寧に審理してほしいという気持ちはありますが、判決がなければ被害の救済もない。裁判所には、被害の実態をきちんと踏まえた、中身のある判決を望んでいます。

──関西訴訟の原告のうちでは、原発事故当時、避難指示の区域外に在住し、そこから避難してきた住民が多い。特に母子避難が多いという特徴があります。

私もその一人です。福島原発事故では、避難指示区域が設定され、その範囲であるかどうかにより、賠償や支援の内容が大きく異なります。私たちのような「区域外」の被災者に、東電は見舞金程度のごくわずかな金額を支払ったに過ぎないのです。

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