福島原発事故・井戸川裁判傍聴記・判決編(前編) 「現代の田中正造」の主張を"黙殺"した非情な判決

2025年7月30日、提訴から10年を超えた長い民事訴訟の判決が東京地裁で言い渡された。原告は過酷事故を起こした東京電力ホールディングス・福島第一原発がある福島県双葉町の町長だった井戸川克隆(79)たった一人だ。
井戸川は妥協なく“国策の無法”を追及した。裁判の過程で弁護団は2度代わり、一昨年末からは代理人弁護士のいない本人訴訟になっている。
最高裁は2022年6月、「国に原発事故の法的責任はない」とした判決を出し、後続の裁判でも同じ内容の判決が繰り返されてきた。官僚的な日本の裁判行政において、最高裁判決に背く判決を下級審が出すはずはなく、新聞やテレビのトップニュースになる華々しい成果はまず期待できない。
それでも井戸川は「勝ち負けの問題ではない。双葉町長だった自分にしか言えないことがある」と、自ら筆を執って膨大な書面を刻み続けた。偽りの償いで公害を幕引きし、被害者に泣き寝入りを強いる非情な国策。福島第一原発事故は明治期に起きた足尾鉱毒事件と酷似している。そして今も一人抗い続ける井戸川の一途な生き様もまた、義人・田中正造と重なると私は感じている。井戸川が長い裁判闘争に求めたものとは一体何だったのか。そして井戸川は自らが求めた終着点にたどり着くことができたのか。
私は13年にわたり井戸川の取材を続け、昨年2月に『双葉町 不屈の将 井戸川克隆――原発から沈黙の民を守る』(平凡社)を刊行した。本記事は筆者による井戸川裁判傍聴記の一審判決編(前編)である。
「本当はまだこの日を迎えたくなかった」
判決の言い渡し時間は午前10時。私は1時間ほど前に東京・霞が関に到着した。この時、すでに「井戸川裁判を支える会」の人々が30人ほど集まり、地裁前の歩道で「民をだまし大地と海を汚した東電と政府の責任を問う」と書かれた横断幕を掲げて井戸川の到着を待ち構えていた。
日本列島は連日の猛暑で、この日も東京都心の最高気温は35度に迫ると予報されていた。集まった人の多くは70歳を超える高齢者だ。炎天下の路上で倒れる人が出ないかと私は内心ヒヤヒヤしていたが、私の心配をよそに支援者たちの表情は生き生きとしていた。30分ほどして、上下スーツ姿の井戸川がキャリーバッグを引いて現れた。すぐにマイクを手に持って集まった支援者に訴えかけた。
「今日は暑い中ありがとうございます。私の裁判も10年を過ぎていよいよ判決の日になりました。本当はまだこの日を迎えたくなかった。もっともっと、ウソとの闘いをやりたかったのですが、裁判という制度の中で思うようにいかなかった。残念でなりません」
昨年9月18日の本人・証人尋問で、裁判官は井戸川に対して事実経過をなぞる表面的な尋問しかしなかった。それ以前に、原発事故当時の首相だった菅直人や東京電力元常務の小森明生の証人申請も却下された。判決に期待できないことは井戸川も分かっていた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら