福島原発事故、「現代の田中正造」は何を訴える 1審だけで9年、「井戸川裁判」傍聴記(後編)
福島県双葉町の元町長の井戸川克隆は福島第一原子力発電所事故の直後、放射能から守るため、200キロメートルも離れた埼玉県に町民を導いた。だが、国が推し進めた「福島復興」に抗ったため辞職に追い込まれた。
さらに漫画『美味しんぼ』誌上で「鼻血の原因は被曝」と話したため、猛烈なバッシングに遭い、メディアからその名前は消えた。それから10年、78歳になった井戸川は変わらずに闘い続けている。
事故を起こさないはずの「原発安全神話」の嘘、根拠なき被曝基準「年間20ミリシーベルト」を押し付ける国家の無法、被災者にさらなる汚染を強いる「福島復興」の欺瞞……。
「双葉町長だった自分にしか言えないことがたくさんある」と、井戸川が一人で国と東京電力ホールディングスを相手取り、損害賠償訴訟を東京地裁に起こしてから9年。いまだ一審判決に至らないほどの壮絶な闘いを繰り広げている。
しかしその結果、周囲から人は離れ、2度にわたり弁護団とも離別した。さらに原発事故の被害者訴訟で国の責任を認めない最高裁判決も出て、ますます四面楚歌の様相を呈している。
そんな「井戸川裁判」は9月18日、ヤマ場と言える原告・証人尋問を迎えた。午前中は孤軍奮闘を支える幼なじみの元副町長が出廷し、汚染で帰れない故郷への強い思いを訴えた。午後はいよいよ井戸川本人が証言台に立つ(「井戸川裁判」傍聴記の前編はこちら)。
訴えを正面から受け止めない裁判官
9月18日の午後1時半、東京地方裁判所で弁論が再開された。午前中の元副町長の井上一芳に続き、今度は井戸川の本人尋問だ。弁護士が付いていないため、主尋問は井戸川が作成した質問事項書に沿って裁判官が質問し、それに井戸川が答える形になる。裁判官がどこまで井戸川独自の主張を受け止めるかが尋問の焦点だった。
井戸川独自の主張は以下の3点に集約できる。
① 東電、国、福島県は福島第一原発の津波対策の必要性を隠した。もし自分が知っていたら、安全協定に基づき東電に運転停止を求めていた。
② 政府は原子力災害対策特別措置法で定められた合同対策協議会を開かず、ベント(原発事故時の放射性物質の意図的な放出) など放射能に関する情報を共有しなかった。双葉町は避難が遅れて町民を被曝させた。
③ 政府は法令で定められた年間1ミリシーベルトの線量基準を守らず、法令に根拠のない年間20ミリシーベルトを基準に避難指示解除や賠償、除染などすべての対応策を進めた。
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