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日本で「リベラル」の考えが定着しない必然的理由/リベラルとliberal、権利とright(s)の間にある隔たりとは

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「中道改革連合」
(写真:時事)

リベラル派を自認する立憲民主党は、公明党と統合して「中道改革連合」として先の総選挙を戦った。統合で彼らのリベラル色は大幅に薄まったが、結果は憲政史上初の女性首相をリーダーとし、保守を自認する自由民主党の圧勝だった。日本の政治史の中でも特筆すべき選挙となった。

翻訳語の問題を中心に比較知識社会学の立場から日本社会を分析してきた私から見ると、新党結成とその大敗は、単なる選挙の結果を示すだけではなかった。

「リベラル」は根付いていなかった

8人の経済学者が輪番でお届けする『週刊東洋経済』の看板コラム。【水曜日更新】

今回の出来事は、日本の近代においてリベラルという考えが、社会的な抵抗力を持つほどまでには根付いていなかったことを印象づけたのである。リベラルという言葉で示される考えが、私たちの間で腑に落ちるほどには受容されておらず、日常の言葉としても定着してこなかったことが示された。

「リベラル」の由来はもちろん、英語のliberalだ。大本には、libertyという西洋の民主主義の根幹をなす理念・観念が存在する。libertyに類する西洋語は、日本語では「自由」と訳されてきた。だから「リベラル」も自由主義と訳されることがあった。

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