財政出動で有効需要を作り出す経済政策運営は、のちにニューディール政策と呼ばれる。その施策を行うアメリカの政治家や官僚は“ニューディーラー”と呼ばれていた。
ニューディーラーたちが第2次世界大戦前後の英米で効果を上げ始めると(たとえばテネシー川流域公社の経済的成功)、ケインズ経済学は一気にその地位を高め、その華々しい成功により名実ともに主流派となったのである。
しかし、そのニューディーラーの成功ゆえに、経済の医者としての役割が徐々に消えてしまう。弱っていないときの過剰な投薬は無駄であったり副作用もあるものだ。古典派からは「それは社会主義や共産主義の発想ではないのか?」「腐敗の温床になる」といった批判が出てくることにもなった。
また古典派はこの時期に手をこまねいていたわけではなく、自由市場モデルを数学的に着実に強化して、徐々に自信を取り戻していく。数学で武装された古典派モデルは精細でかつ機能美を感じられるもので、その新しい古典派モデルを研究する経済学者は自分たちを“新古典派”と呼ぶようになり、経済学を科学の域に高めようと切磋琢磨していた。
おりしもの世界的なコストプッシュインフレにオイルショック等の突発的な地政学的情勢も重なり、ニューディーラーはスタグフレーション(物価高を伴う不況)に有効な処方箋を示せないまま勢いを無くしていく(1960-70年代)。
その頃にニューディーラー批判、ケインズ経済学批判の急先鋒として注目され名を馳せたのがフリードマンであり、新古典派経済学陣営の中心人物となった。
存命ではもはやなかったが当時まだ最強だったケインズを思想的に倒せる、その野望を託されたフリードマンは、期待に応え歴史的事実として古典派/新古典派の主流派返り咲きに大貢献をしたのである。
フリードマンのテーゼ「資本主義と自由」
フリードマンの主張は1940年代から行われ幅も広いものだが、集大成として、また記念碑的なものとしてよく引かれる著書が『資本主義と自由』(1962年)だ。
マーガレット・サッチャーが読んで影響を受け、英首相時代のサッチャリズムのベースにしたとも言われ、フリードマンの資本主義経済と自由に関する考えとして広く読まれている名著である。
主張はシンプルで、できるだけ(資本が自由に取引される)市場に任せればよい、それが最も効率がよく無駄も少なくなる。政府の介入が多ければ無駄が増え最適な配分が起こらず、物価も高くなり、腐敗も起こり、経済が停滞してしまう、という。
読めば、(経済学を学んだ人であればとくに)経済学の古典派のエッセンスを現代的な内容で理解でき、そこにシステム論的な美しさを感じるだろう。個人に選択の自由があり、自由が自身のありたい姿と社会善を作り、自由だからこそ調和する。新古典派から喝采を浴びたその論旨には責任と誇らしさを感じる人も多かったのではないだろうか。
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