古川:私も民主的多元主義を取り戻すべきという主張には全面的に賛成ですが、佐藤さんと同様に、その実現可能性については疑問が残るという感想です。アメリカの雰囲気はよくわかりませんが、少なくとも日本の状況を見る限り、正直いって、まったく希望がもてない。なぜなら、身も蓋もないことをいうようですが、もはや労働者や大衆のほうが、むしろ民主主義を望んでいないと思うからです。
とくに若年層の民主主義離れは、データとしてもしばしば指摘されていますが、実際に大学で彼らとよく話してみると、データ以上に強烈です。彼らはもはや、内心では「民主主義だけは嫌だ、勘弁してくれ」とさえ思っています。
新自由主義者と大衆の共依存関係
みんなで話し合って決めるとか、ましてや、利害が異なる人たちと粘り強く話し合って調整するとか、そんなめんどくさくてストレスのかかることを、彼らは絶対にやりたくない。だから、「誰かが勝手に決めてくれよ。極端に不利益が及ばない限り、俺たちはそれに従うから」というのが彼らのスタンスです。
つまり、多少の不利益や不平等は、私的な自由を確保するためのコストだと割り切っているんですね。「リベラルな独裁」こそ、彼らがもっとも望んでいる政治体制なんです。
言い換えれば、新自由主義エリートと大衆との間では、実は利害が一致していて、お互いがお互いを必要とする相互依存的な関係にあるのではないか。そして、その両方から排除されるのが、まさに民主的多元主義なのではないか。そんなふうに思います。
中野:大衆がめんどくさい多元主義を望んでいないというのは、まったく、その通りだと思います。一方で、新自由主義エリートと大衆の利害が一致しているとまでは、言えないように思います。
というのも、新自由主義体制下では、賃金が下がるので、不利益を被る大衆は不満を持っています。最近はアマゾンですら、労組が結成される動きが出ている。これも立派な多元主義ですね。
しかし、賃金が上がらない不満を多元主義的な政治参加で解決するのではなく、SNSを通じてトランプ的なポピュリズムに巻き込まれている人たちも少なくありません。それが問題だというのが、おおざっぱなリンドの見立てではないでしょうか。要するに、新自由主義と大衆の共依存は、長持ちしなかった。