「買わない生活」がお金を回すことにつながる理由 「本当の意味」で「お金を制する」ということ

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大好きな和歌山の農家さんから取り寄せている大量の梅が今年も届く! これを自家製梅干しにして折に触れ好きな人に配りまくるのがもはや毎年の恒例に(写真:筆者提供)
疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第62回をお届けします。

お金は不用意に使えない

さて前回に引き続き、わが「買わない」人生で永遠に発生し続けるであろう「余剰金」の使い道についての話である。

稲垣えみ子氏による連載62回目です。

そうなんですよ。お金の使い道なんていくらでも、それこそ無限にあると世の圧倒的多数の方々はそうお思いでしょうし、当然私もずーっとそう考えて生きてきたわけなんだが、これがもうまったく、こうなってみればそんなイージーなもんじゃなかったのだ。

無論、なんでもいいからただ使えばいいんだったらまさしくいくらでも使い道はあるんでしょうが、「買わない生活」を通して不用意にお金を使うことの底知れぬ恐ろしさを知ってしまった身としては、そんなオッソロシイことはとてもじゃないができやしねえ。自分なりに苦労して一生懸命稼いだお金が、不用意に使ったがゆえに自分にも他人も不幸を撒き散らすところなんて絶対に見たくない。

……てなことを言っていると、なかなかに道は険しいのであった。

とはいえ、使うあてもないお金を無為に貯めておくのはダムの水を永遠に堰き止めて腐らせてしまうようなもので、ある意味反社会的行為といえよう。どうにかして新たな使い道を模索せねばならぬ。というわけで、まずは前回ご報告した「寄付」という当然誰もが考えるであろう使い道を断念した理由の復習から始めたい。

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