そう寄付って、一見いいことしかない行為に思えますよね。
でもいざ実行に移さんとして具体的に考えると、よく知らぬ相手に安易にお金だけをポンと出すようなことをすれば、宝くじに当たった人の人生が暗転することが少なくないように、相手にとって決して良い結果を生まない気がしてきたのだった。
つまりはお金とは、安心して託せる人の元に責任を持って送り出し、なおかつ折に触れ様子を見に行ってやるくらいの勢いでマメに面倒を見てやらなければ、かなりの高確率でグレて不幸を撒き散らしかねないんじゃないか。そのくらい、案外デリケートな性格の持ち主であると考えて取り扱うべきものなんじゃないか……。
つまりは、お金というものはどうも、相手を見ずにバラまいたりしてはいけないのだ。昔風に言えば「手塩にかけた大切なムスメを嫁に出すような気持ち」で、顔の見える信頼できる相手に責任を持って託すのが一番間違いない。っていうか、多分「それしかない」んである。
「信頼できる人に寄付」の難しさ
というわけで、次に考えたのは「信頼できる人に寄付」。
そうだよこれなら知らない相手への寄付とは違い、あれこれチェックするエネルギーをかけずとも安心して心置きなくお金を託すことができる。しかも、よく知っている好きな相手を応援することにつながるとなれば、どう考えてもイケてるやり方なんじゃないか?
……と、一瞬は思ったわけですが、これもよく考える良策とは言えない気がしてきた。
まず、お金というものはなぜか、どうも人間関係をぎくしゃくさせがちある。いくら親しい仲でも、お金が絡むとたちまち、出したほうが「上」、受け取ったほうが「下」みたいなロクでもない感覚を双方に引き起こしかねない。
クラウドファンディングなどでその他大勢に混じってお金を出すのならいいけれど、個人対個人でまとまったお金をポンと出すなどという大層なコトになると、100年の友情も深まるどころか亀裂への第一歩を着実に踏み出す確率のほうが圧倒的に高そうな気がしてくる。
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