高校に入ると、生活は再び激変しました。それまでは都会の街に、親といっしょに暮らしていたのですが、高校からは寮で生活をすることに。学校の周囲には何もなく、町まではバスを乗り継いで30分強。寮は相部屋で、日本人同士とはいえ気を遣う生活でした。
自分で選んだ留学なら受け入れざるをえませんが、百合さんにとっては強いられた生活です。おっとりとした彼女にとって、それは厳しい日々でした。
「出身地どこ?」を聞かれるのがつらいワケ
百合さんが再び日本で生活を始めたのは、高校を卒業して、大学に入ったときでした。親はまだ海外を転々としていたので、一人で帰国。関東地方にある寮で暮らしながら、学生生活を始めることに。
カルチャーギャップは、やはり大きかったようです。最初に驚いたのは、「頭(髪)が黒い人たちばかり」であることと、「みんなが歩く速度が速すぎて、ついていけなかった」こと。当時はカラオケブームで、よく友達にカラオケに連れていかれましたが、日本の歌謡曲をまったく知らず、覚えるのにも一苦労でした。
街で声をかけられると、それが宗教団体の勧誘でも、わからずに応じてしまいます。チラシを差し出されると素通りできず、嫌味を言われても気が付かず、社交辞令も本気かどうかわかりません。逆に、社交辞令だと思って知人の招待をスルーしたら、「待っていたのに、なぜ来なかったの?」と聞かれてしまったこともありました。
とくに悩まされたのは、「出身地どこ?」という質問です。聞くほうからしたらたわいないのですが、百合さんにとっては、まさに難問。「どこなんだろう?」といちいち考え込んでしまいます。40代の今でこそ、日本での暮らしが人生の大半を占めますが、学生の頃は欧州暮らしのほうが長かったですし、かといって欧州では日本の教育を受けており、現地の言葉はそこそこ。出身地というのも気がひけます。
「だから私は『〇〇県××市の生まれで、どこそこの出身です』とか言える人が、本当にうらやましくて。私には、それがないんです。なんかこう『根がない人』みたいな感じ。所属しているものがない不安定さとか、『私は何者なんだろう』という感覚がつねにあって。ほかの人が聞いたら不思議に思うかもしれないけど、すごくつらかったんですよ、私」
自分のアイデンティティーがはっきりしない、という苦しさは、両親の国籍が違うミックスルーツ(ハーフ)の人や、養子など事情により血縁の親がわからない人などからも、聞くことがあります。
百合さんが「自分の根がない」と感じたのには、家族の状況も関係していたようです。
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