現地で転入したのは日本人学校でしたが、それまで通っていた小学校とは、まるで様子が違っていました。中学から日本に戻り、帰国子女の枠で受験する予定の子どもが多かったため、まるで私立の進学校のような雰囲気だったのです。転入早々、先生から補習を告げられ、周りの子にからかわれたことも。兄も中学の雰囲気になじめず苦労したらしく、この頃「兄がどんどん暗くなっていった」ことを、百合さんはよく覚えています。
「いちばんつらかった」と感じるのは、高校進学についてです。親は当初、「近いうちに帰国するだろうから、高校は日本の寮付きの学校に通いなさい」と言っていたので、百合さんもそのつもりで現地の塾に通い、日本での受験に備えていました。ところが、受験の直前になって急に「滞在が延びそうだから、進路を変えるように」と言われたのです。
突然のことで選べる進路は限られていた
百合さんに与えられた選択肢は、2つでした。「家から通えるインターナショナルスクール(公用語は英語)に行く」か、やや遠くなりますが「近隣諸国にある、日本の私学の海外校に通う」、このどちらかです。
親はインターナショナルスクールへの進学を望んでいたようですが、これは百合さんにとって難しい選択でした。高校からインターナショナルスクールに進む子どもたちは、中学に入った頃から英語を習い、コツコツと準備していたからです。中3のいまごろから準備を始めても大変なのは、目に見えています。百合さんは結局、比較的家から近い、しかし国境をまたいだ町にある、日本の私学の海外校に行くことにしました。
「選択肢が本当にない中での、選択でした。自分の行きたいところに行くとか、そんなものではなく。いまになると『インターナショナルスクールに行けばよかったな』と思うんですが、でもそのとき私の思いを尊重してくれたことは、よかったなと思います。
一方で、『その2つの選択肢から選べっていうのは、理不尽じゃない?』という思いもあって。あの頃は、母が父の仕事で振り回され苦労しているのも見ていたし、『しょうがないな』と思っていたんですけれど」
百合さんのなかには、いまでもちょっぴり割り切れない思いがあるようです。
人種差別も、つねに感じていました。学校は日本人ばかりなのですが、一歩外に出れば、つねに差別的な視線と隣り合わせです。白人種の人たちから見れば、中国人も韓国人も日本人も関係なく、みんな「アジア人」。よくからかいの言葉をかけられました。
「道端で突然怒鳴られたり、バスや電車に乗って嫌な顔をされたり。レストランでは空いていても末席に通されたり。もちろん、親切で好意的な人もたくさんいたんですけれど」
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