確かに、昔はクリスマスプレゼントをもらう側だったのに、なんか働いて彼女(けしからんひとは“彼女たち”)に渡す側になってからは彼女の期待値の上昇とともにえっらく高くつくイエス様の誕生日になっているんですけど。
こんなこと言うとキリスト教の人に叱られるかもしれないが、たとえば仏教徒は仏滅の前日に恋人がロマンチックにデートしないし、イスラムのアッラー様も、ヒンズーのガネーシャ様でも何でも、他の宗教で聖人の誕生を、これほど盛大にコマーシャリズムに結び付けた宗教はないだろう。
念のため言っておくと私は全ての宗教にも敬意を払っているのでどうぞみなさん怒らないでいただきたいのだが、以下では全国1000万(?)の若きカップル及び3000万のおひとり様の皆さんに、私が考えた「本来のあるべきクリスマスの過ごし方」について、グローバル・エリートな観点から議論を展開させていただこう。
一人で幸せに過ごせる強さを持ってこそ、他人に優しくできる
人間とは弱いもので、まずクリスマスを一人で過ごすことに過度に恐怖を感じる人たちがいる。これは10代後半から20代前半にかけて特に重症になるのだが、見ている雑誌とか自分に影響を与えるメディアがやたらとクリスマスは大切な恋人と過ごすもの、などととんでもない洗脳をしてくるのだからタチが悪い。
かくいうグローバルエリートも19歳あたりのころは、クリスマスに彼女がいないと孤独感にさいなまれたものであるが、20代前半ころからはどうでもよくなった。
振り切れたきっかけは、一人でクリスマス・イヴにディズニーランドに行って周囲の恋人がグズグズ動くのを横目に一人で軽快に移動しまくって乗り物に乗りまくり、ヒト一倍楽しんだことだ。
若い読者の皆さまは御自身の胸に手を当てて考えて欲しいのだが、「マサルがいないと生きていけないわ!」とか、「麻衣子がいないと、おれ駄目だ!」とか本気で言っているとしたら、早晩相手の重荷になってあなたはポイと恋のゴミ箱に捨てられてしまうことであろう。
ここで強調しておくが、クリスマスを一人で過ごすことに孤独感を感じている人は、とにかく一人でディズニーシーに行って、一人でディズニーホテルに泊まってロマンチックなフルコースディナーを食べて、追撃砲として御自分に豪華なクリスマスプレゼントの一つでも買って、一人でクリスマスを満喫してみてはいかがか。
ポイントは別に一人でやけになって奇人になれと言っているわけではなく、一人でも楽しめる強さを持ってこそ、他人に自分の幸せを依存しないようにしてこそ、他人を幸せにする余裕ができる、ということである。
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