なぜ丸の内は、“新しい感じ”がするのか? "ミスター丸の内"の、人を呼び込む力

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また、丸ビル開業から10年を迎えた昨年は、「MEET @ Marunouchi」というロゴとメッセージを発信。「ビジネスやショッピングをきっかけに人々が集まり、交流することで新しいものが生まれる街」というイメージを改めて打ち出した。

「2012年は東京駅が生まれ変わり、東京スカイツリーや渋谷ヒカリエもできて、東京が様変わりした年だった。その中で、丸の内には何ができるのか、街の強みをあらためて打ち出したかった」(渡邉氏)

ノウハウがないなか、どう巻き返す?

渡邉氏が初めて丸の内での事業に携わったのは1997年、30歳を目前に控えたとき。そのミッションは、丸の内のランドマーク、丸ビルの建て替えだった。

今でこそ大勢の人でにぎわう丸の内だが、当時は新聞に「丸の内のたそがれ」と書かれるほど、閉塞感が漂う街だった。土日は人通りが少なく、平日もテナントとして多く入居する銀行が閉まる午後3時になると、シャッター通りへと一変。まさにメディアが伝えるとおりの状況だったのだ。

一方、「丸の内の大家」とも称される三菱地所にとって、この場所は本社のおひざ元であると同時に、多くのビルを保有する重要な収益基盤。

丸ビルの建て替えは、単に1棟のビルを建て替えるということではなく、丸の内という「街自体」の再生につながる試金石でもあった。しかし、昭和40年代以降、このエリアでは再開発が途絶えていた。そのため、当時の三菱地所の内部には丸の内の開発ノウハウはほとんど残っていない有様だったのだ。

ノウハウのない中でいったい、どうやって巻き返すか。渡邉氏たちのチームがいちばん労力を割いたのは、街全体のコンセプトをどう設定するか、という作業だった。彼は当時のことをこう振り返る。

「ひとりの人間がトップダウンで方向性を打ち出せば、作業はもっと楽だったはず。でも、ひとりが全体を決めようとすると、どうしても自分の経験の範囲の中でしか考えられない。メンバーが育ってきた環境や持っている背景によって、出てくるアイデアは間違いなく自分とは違う。だから、まずみんなの『I will(自分はこうしたい)』を出させて、議論することを大事にした」

渡邉氏には、この「I will」の大切さを実感した原体験がある。入社して間もないころに開発を担当した金沢パークビルでの出来事だ。

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