ただ、その段階では曖昧模糊とした“夢想”でしかない。そこから、いかにして具体的な建築物へと落とし込むか。その過程を、渡邉氏は砂団子作りにたとえる。
「まず事務屋の考えていることを、技術屋にいくつかのパターンで形にしてもらう。それを事務屋の目から見て、議論をして、技術陣に返す。事務屋と技術屋との間で意見交換を繰り返す中で、あやふやだったものを徐々にそぎ落としていく。それは右手と左手の間を往復させながら、砂団子を固めていく作業に似ている」。
渡邉氏の提案したプランは、現在、マルキューブという展示用スペースとして存在している。懸案の1つだった設置場所は、仲通りから銀座へと続く起点であり、終点でもあるという思いを込めて、仲通りに面した丸ビルの南西角に決まった。
天井部から吊るされているバナー広告の角度も、技術陣との度重なる意見交換の末に、もっとも見栄えのする角度を見つけ出した。
丸ビル竣工後は、丸ビルを運営管理する子会社、丸ビル開発で培ったノウハウを他社に提供する部署を経て、2011年の春に再び丸の内での仕事に舞い戻った。ただ、丸ビルを建て替えた10年前と比べて開発のスピード感が緩くなっていると、渡邉氏の目には映っている。
そんな思いが、異動直後からコンセプト発信やイベント企画を矢継ぎ早に打ち出してきた裏側にあるのかもしれない。
昨年10月、有楽町の東京国際フォーラムで、IMF・世界銀行年次総会が開催されたのに合わせて、訪日外国人向けに丸の内を案内するイベントを企画した。その参加者から「この街には宝物が眠っている」という声が届いた。
整然としていて、清潔で、街の作りがきれいで、外観にも統一感がある。海外ではビル2~3棟単位で、こうした取り組み事例があるが、100ヘクタールもの広さで実現できているのは丸の内だけだ。
「イベントというのは、訪れていただく“きっかけ”に過ぎない。イベントという起爆剤があって、じゃあ近くの美術館に行ってみようとか、仲通りでショッピングしようということになる。ただ、一般客はそれでいいが、ビジネス客にまで街の魅力を十分に伝えることは難しい。
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