「東大理Ⅲに4連敗」夢破れた彼女が見つけた道 合格最低点と僅差で不合格、その後の彼女は?

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高校1年生までの森さんの自主的な勉強時間はゼロ。それでも、目標ができたことで彼女の意識はこれを境に大きく変わります。

「高2から、平日は塾や予備校に通わずに学校の図書館で友達と一緒に勉強し、休みの日には家で1日8時間以上の勉強をするようになりました。この時期、いきなり勉強に集中し出して身体がびっくりしたのか、帯状疱疹になりしばらく痛かったです(笑)」

しかし残念ながら、現役時代の成績は理ⅡではC判定を獲得するも、理ⅢはE判定から動くことはありませんでした。

結局、現役時の受験は前期で理Ⅲ、後期で悩んだ末に理Iに出願するも、どちらも不合格に終わります。

「理Ⅲじゃないと意味がない」と思っていた

森さんが浪人を決めた理由は、「どこも受からなかったから」という理由が大きかったそうです。

「背水の陣を自分自身に課したので、国立しか受けていなかったんです。父には『今からでも受かりそうなところを受けたらどうだ』と言われていましたが、『理Ⅲじゃないと意味がない』と突っぱねていたんです。

ただ実際、浪人が決まり『自分の所属する場所がない』ことに気づき、その不安感が予想以上に強かったことをいまだに覚えています。今思えば、私のためを思って勉強できる環境を整えてくれていた両親には感謝しています」

こうして1浪目の森さんは、駿台市谷校で浪人生活を送ることに決めます。

「浪人して駿台の講義を受けると、バラバラだった知識が、やっとつながってきた手ごたえがありました。毎日やることを決めてもらえている、という状態はすごく気楽で、余計なことを考えて悩んだりする必要がないので予備校に通って心底よかったと思っています。駿台の講義は底抜けに面白かったので、今でも思い出すエピソードがたくさんありますね」

「理Ⅲに入りたい」と強く願い、決めた浪人生活。

このころ、駿台の刺激的な日々のおかげで、「研究ですごい治療法を発見する」、「『不老不死』『転生』のようなものを実現させたい」と、漠然と大学に入ってからの目標もできたそうです。

とはいえ、成績は徐々に上がっていったものの理Ⅲにはまだ届かず、前期は理Ⅲ、後期は地方の医学部にそれぞれ出願しましたが、どちらも落ちてしまいました。

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