井伊直政、苦難の幼少期
井伊直政が生まれた井伊家は今川家の家臣でしたが、桶狭間の合戦で当主・井伊直盛が討ち死にしてしまいます。さらに、あとを継いだ直政の父・直親も、謀反の疑いで今川氏真に誅殺されました。
直政はこのとき2歳だったため、叔母の次郎法師が「直虎」を名乗って井伊家の当主の座についたとされています。直親が誅殺されたのは、桶狭間の合戦後に独立した松平元康(徳川家康)に寝返ろうとしたからとも言われていますが、このあたりの真偽は定かではありません。おそらく、松平家の独立が遠江にまで動揺を呼んで今川家から独立を図る者が増え、氏真が疑心暗鬼になったのが原因ではないかと思われます。
ちなみに直親は、直盛の養子でした。次郎法師こと直虎は直盛の娘で、直親の許嫁であったと言われていますが、この直虎が女性だったか否かは研究者のあいだでも意見が分かれており判然とはしません。
父の直親が謀反の罪で誅殺されたこともあって直政も命を狙われますが、このときは助命が聞き入れられました。しかし武田氏による今川侵攻が始まると、再び直政に危険が迫ります。井伊家の家老である小野道好(政次)が井伊家の簒奪を画策し、今川家の命を受けたとして直政を狙ったのです。
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