「井伊直政」家康が寵愛し続けた猛将が示した忠義 戦国最強の「赤備え」を受け継いだ徳川四天王

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直政は容姿に優れ、若い頃は家康の寵童であったとも言われています。そして、礼儀正しい優れた外交官らしく、理をもって相手を説得する力があったようです。その一方で自分の部下には異常に厳しく、些細なミスも許さず部下を手討ちにしてしまうことから、直政の官位をもじって「人斬り兵部」と称されます。

直政の忠義は直弼に至るまで徳川とともに

いっときは筆頭家老まで逃亡するありさまで、見かねた家康がしばらくはすべての人事に介入するということまであったそうです。

直政は自分にも常軌を逸するほど厳しい人物でしたが、それは部下にまで及んでいたのでしょう。

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直政の勇猛さは、徳川家中随一の本多忠勝と比べられることが多かったものの、戦場で一度も傷を負ったことがないと言われた忠勝と異なり、直政はつねに軍の先頭で戦うことから傷が絶えませんでした。そのことが結果的に、直政の命を縮めることになります。

直政は、外様である自分を、ここまで重用してくれた家康と徳川家に深い忠誠心を持っていました。また家康および徳川家も、譜代大名を超える信頼を井伊家に寄せました。その強い信頼関係と直政の持つ激しさは、幕末に大老となり幕府を守るための厳しい弾圧「安政の大獄」を指導する井伊直弼に受け継がれます。

直弼は、徳川幕府を守るためすべての恨みを一身に受け、苛烈な幕政を行いました。井伊家は、直政から直弼に至るまで徳川とともにあったと言えるのではないでしょうか。

眞邊 明人 脚本家、演出家

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まなべ あきひと / Akihito Manabe

1968年生まれ。同志社大学文学部卒。大日本印刷、吉本興業を経て独立。独自のコミュニケーションスキルを開発・体系化し、政治家のスピーチ指導や、一部上場企業を中心に年間100本近くのビジネス研修、組織改革プロジェクトに携わる。研修でのビジネスケーススタディを歴史の事象に喩えた話が人気を博す。尊敬する作家は柴田錬三郎。2019年7月には日テレHRアカデミアの理事に就任。また、演出家としてテレビ番組のプロデュースの他、最近では演劇、ロック、ダンス、プロレスを融合した「魔界」の脚本、総合演出をつとめる。

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